暗い灰色の空の下、丘一面に咲き乱れるのは白い百合の花。
ざわざわと風が吹くたびに、真白の花びらが波打つ。
「ここで何をしている」
突然背後から声をかけられ、青年は振り返った。
強い風が吹きぬける。
白い花弁が一斉に宙を舞いあがった。
その時青年は、赤い炎が天へ向かって燃え上がるのを見た。
「ここは余所者が立ち入ってよい場所ではない。立ち去れ」
舞う白百合のごとく柔らかに白い肌、ほっそりとした伸びやかな手足。
先ほど炎と思ったのは、鮮やかな夕陽色の髪だったことに気づく。
何よりも印象的なのは、その瞳。
澄んだ空色の中に淡いグレーを宿す静かな瞳は、まるで穏やかに凪ぐ湖の湖面のようだ。
青年は眩しそうにそのひとを見つめた。
「すまねぇ。あんまり花が見事だったもんで。ここは禁足地か」
「・・・ここは墓場だ」
「墓場・・・?」
しかし墓標のようなものは何もなく、ただ丘一面に白百合が咲き乱れているばかり。
「おまえ、旅の者か?」
逆に問われ、青年は頷いた。
「ああ。今日、この都に入ったばかりなんだ。初めてなもんでうろついてたらここに来てた。勝手しちまってすまねえ」
「この都は余所者を好かない。用が済んだらはやく出て行くことだ」
その人は背を向けて立ち去ろうとする。
「あ、ちょっと待ってくれ。宿を探してるんだが、どこか知らないか」
あっけなく目の前から消えようとするその人の後姿に、青年は慌てて声をかけた。
「役所へ行けば商人用の宿坊がある。そちらへ行けば泊れよう」
「役所か・・・。役所はちょっとな・・・」
「おまえ、お尋ね者か?」
「いや、そういうわけでもねぇんだけどよ。色々面倒なんだよな」
「しかし他におまえのような肌と髪の色の者を泊めるような宿はないぞ。言ったろう、余所者を好かないと」
「参ったな。今夜は野宿か」
青年は薄暗い空を見上げて肩をすくめた。
「夜は冷えるぞ。凍え死なぬよう気をつけることだな」
そのひとは無表情のままそう告げると、立ち去っていった。
「くそ、綺麗な顔して冷てぇ奴だな」
丘を下りながら、青年は妙に柔らかい土の感触に足元を見下ろす。長靴が白い土にまみれているのに気づき、軽く払った。
土というより灰のようだと、なんとはなしに思う。
振り返ると、そこにだけ咲き誇る百合の花が陰鬱な空の下で妙に白々と浮かんでいた。
奇妙な国だ、と勝手に入り込んだ馬小屋の中で休みながら、青年は思う。
今までにも様々な国を渡り歩いてきた。余所者に対して排他的な国も多くあった。しかしこれほどの違和感はかつてない。
この国の人間は皆銀色の髪に白い肌、そして碧い瞳を持っていた。その中で浅黒い肌をし、黒髪に黒檀の瞳を持つ青年はひどく目立ったのだが、誰一人青年に構う者はなく、それどころか話しかけてもろくに返事が返ってこないという有様だった。
青年は180センチを超える長身に際立って整った顔立ちをしていて、行く先々の国で女性たちにもてはやされ、一宿一飯を振舞われてきたのだったが、この国に限っては彼が近づいただけで女性たちはきびすを反した。しかも不思議なことに、子どもの姿を見かけることがほとんどない。目に入るのは老人が多かった。人々は陰鬱で、街には活気がなかった。
それにこの空、と青年は天を見上げた。
この都へ入ってから一度も太陽をみない。
常に空はどんよりと灰色に曇り、厚い雲に覆われていた。
この国に入る手前の集落の者は、この都に立ち寄ることを勧めなかった。
『あんなとこに行ってもろくなこたありませんぜ。およしになるこった』
誰もが口を揃えてそう言った。
青年がそれでもこの国に立ち寄った理由は、ただひとつ。
青年は唯一携えている荷袋から、小さな壺を取り出した。
「待っててくれ、兄貴・・・」
青年は食いしばった歯の間からそう呟くと、壺を手に包んだ。
飼葉にくるまって横になった時、頭に浮かんだのは今日迷い込んだ百合の丘の光景。
そういえば、と青年は思う。
色素の薄く澱んだものばかりのこの国で唯一見た鮮やかな色彩が、あの丘で出会った人の髪だった。
恐らく種族の中でも異端なのだろう。風に煽られて炎のように舞い上がった髪が瞼に浮かんだ。
しかしあの冷たい瞳は確かにこの国の人間のものだ。
どれほどの美貌であろうと触れた先から凍りつきそうだ、と青年はひとりごちた。
ただ、彼が笑えばどれほど美しかろうかと眠りに落ちる直前つらつらと考えていたのだったが、翌日目を覚ました時にはそんなことはすっかり失念していた。
続
|