BAD DOG NO BISCUIT

1/2/3/4

 

 

 
 翌朝。
 剣心は無意識のうちに頬にあたる柔らかい毛皮を抱きしめた。お返しのように頬をぺろぺろと舐められる。
「ん・・・」
 ぼんやりと眼を開けると、剣心はふさふさした尻尾にくるまれていた。ブルーグレーの瞳が覗き込んでいる。
 ということは、昨日の出来事は、現実だったのだ。
「夢じゃなかったんだ・・・」
 ぼんやりと天井を見上げる。左之助は尻尾を振りながら剣心の胸に乗りあがった。
「うっ、重い・・・」
 左之助は起きろ、と言うように一声吼えた。
「わかった、起きるからっ・・・」
 まず剣心はお湯で濡らしたタオルで左之助の身体を丁寧に拭いた後、傷の手入れをしてその後、朝食の準備に取り掛かった。
「朝ごはんは野菜たっぷり豚汁、ほうれん草のおひたしにだし巻き卵だよ」
 左之助は剣心の足に飛びついて手元を見ようとしたり、足元にまとわりついてくるのだが剣心の邪魔にしかなっていない。
「もう〜。おとなしく座ってろってば」
 用意ができたところで人の姿になり、朝食である。左之助は剣心があきれるほどたくさん食べて満足げだ。
「あー、うまかった。剣心料理うめぇよな。やっぱドッグフードってやつぁダメだ。飯はあったかくなきゃ」
 左之助はそういうと食べ終わった食器を運んで洗い始めた。
「あ、おいといてくれれば俺がやるから」
「いいって。俺ぁペットじゃねぇ、同居人なんだから。これくらいするって」
 剣心はそれを聞いて微笑んだ。
「そうだな。じゃあお願いするよ」
 案外手際よく皿を洗う姿を後ろから眺めながら、なんとなく暖かい気持ちになる。自分の家でキッチンに立つ人の後姿を、こうやって見る日が来るなんて思いもしなかった。
 しかし。
 その者が全裸というのはなんともいただけない。確かに美しく均整の取れた体である。まるで彫刻のように、無駄な贅肉など微塵もない。しかし、とりあえず何か着て欲しい。剣心はクローゼットを探って左之助でも着られそうなサイズの洋服を見つけ出す。
 皿を洗い終わって、鼻先に泡をつけた左之助に洋服を着せてやる。
「めんどくせぇよぉ」
 左之助が情けない声を出す。
「だって、これからでかけるし。人の時は何か着ないとダメだよ、左之」
「じゃあ犬で行くし」
「ダメ。犬はお店入れないから」
 不満げに頬を膨らませながらも、左之助はおとなしく服を着た。
「さ、出かけるよ」

 ふたりは剣心の車に乗り込むと、買い物にでかけた。犬の為の物は買い揃えてあったが、人間の左之助に必要なものは準備していなかったからである。
 まず剣心は郊外の大型ショッピングセンターへ行き、下着や部屋着、パジャマなどの日用品を買い込んだ。剣心にとって誰かと一緒に買い物するなど久しぶりのことで、歯ブラシひとつ選ぶのがこんなに楽しいとは思わなかった。左之助は次々に何にでも興味を示し、少しでも目を離すとどこかへ行ってしまう。慌てて探していると後ろから抱きつかれて何度も笑わせられた。
 日用品を一通り揃えると、今度は街中に移動して洋服選びだ。ショッピングセンターで本屋に立ち寄り、どんな洋服がいいかふたりで相談して立ち寄るブランドを決めた。足が長く頭の小さい左之助は何を着せてもよく似合った。とりあえずセレクトショップで エビスのジーンズ、モリカゲのシャツを数枚、アンダーカバーのカットソーとジャケットなどを仕入れてそのまま着ていくことにする。試着室で着替える左之助を待っている間、店員の女性に声をかけられた。
「彼氏って、もしかしてモデルか何かされてるんですか?」
「えっ、いや、違いますよ」
「そうなんだ!あんまりカッコイイからモデルさんかと思いましたよ。なんか普通の人じゃない感じだし!オーラが出てるっていうか。彼女さんもすごいきれいだけど」
「え、あの・・・」
 いくつか勘違いをされているようだが、いちいち訂正するのも面倒で苦笑いで流してしまう。しかし、他の人から見ても左之助は少し変わって見える存在なのだと妙に納得してしまった。
「どうよ剣心!似合うだろ」
 着替えを終えて自慢げに姿を見せる左之助があんまり様になっていて、思わず見惚れてしまう。
「おっ、何か今俺のことカッコイイ〜、って思ったろおまえ」
 左之助はちょっとした表情や気持ちの変化を捉えることに異常なほど長けている。育ての親の比古をして、無表情の鉄仮面と言わせしめたほどの剣心の感情をいとも簡単に読み取ってしまう。超能力かも、と剣心は少しどぎまぎしながらも軽口を返した。
「ジーンズの裾切らないで買えるのがうらやましいだけ」
「ふぅ〜ん」
 ニヤニヤ笑う左之助の頬をつねって、店を出た。安くない金額の「彼氏」の洋服代をカードで支払った「彼女」を、店員が一体どう思っているのかは深く考えないようにした。
 その後も何軒かの店に立ち寄って洋服を選び、イタリアンのレストランで食事をして帰宅したのは午後10時近かった。
「あー、楽しかったな。食ったことねぇうまいもんも食えたし、ドライブもできたし」
「うん。楽しかった」
 心地よく疲れて、買った洋服の袋に埋もれるようにソファに沈み込む剣心の横に座る。
「でも、こんなにいっぱい買ってもらって、よかったのか?」
「だって洋服は必要だし。おまえと俺とじゃサイズ違いすぎるから俺のを着るのは無理だろ」
「いや、けどさ・・・」
 複雑そうな顔をする左之助を横目にみながら、うっとりとその場で眠ってしまいそうになる。左之助は犬に変わってぺろぺろと頬を舐めて起こそうとするが、剣心は吸い込まれるようにそのまま眠りの世界へ落ちていってしまった。目を閉じる直前に瞳に映った青は、夢の中で左之助と見上げた空か、それとも左之助の瞳の色だったのだろうか。

 目を覚ますと、剣心はベッドの中に居た。
 ふと見ると、左之助を枕にしていた。ふわふわした尻尾が頭を撫でている。
「あ・・・。運んでくれたのか。ありがとう」
 するとお返しのように鼻先をこすりつけてきた。
「わ、鼻が濡れててぬるぬるする!あはは、やめろって」
 しばらくベッドの中でじゃれあった後、このままでは笑いすぎで体力を使い果たしてしまうと思い至り、左之助をベッドからおろした。
「今日は仕事なんだよ。左之助はどうする?ここで留守番してるか?」
 左之助は不満そうに吼え、足を踏み鳴らした。
「じゃあ、いい子にするって約束できるか?」
 するとブウッと鼻息を吹き出しながらも頷いた。
 朝食の後、昨日買ったばかりの服の中からアニエス・ベーのTシャツと紺のコットンパンツを選び、下着と共にバッグに詰める と左之助を助手席に乗せて出発である。
 まず前日にネットで注文しておいた花を受け取りに市場に向かった後、花屋に向かう。
 剣心の店は、裏通りにひっそりとあった。アイビーのつたう古い洋風の家を改造しているので、一見花屋に見えない作りとなっている。だからこの店は常連さんと、街歩きの途中でひょっこりやってきたお客さんが中心で、混むことはほとんどない。もともと道楽で始めた ような店だから、あえてそういう場所を選んだ。
 1Fは売り場スペースになっていて、そのまま裏庭に通り抜けることができる。裏庭にはガーデニングが施され、パラソルとテーブル、椅子が置かれている。晴れた日にはそこでハーブティや剣心手作りの菓子が振舞われる。裏庭奥には小さくはあるが温室やハーブガーデンもある。店の奥にはキッチンとカウンターがあり、ここでもお茶が飲めるようになっている。2Fは休憩用の部屋や浴室もあった。
 店についたら早速仕入れたばかりの花の水あげをする。この時の処理は花の種類によっても異なり、適切に処置しないと持ちが悪くなってしまう。他にもケースにある花のメンテナンスもこなさねばならない。今日は、結婚10周年の記念にという男性からのオーダーの他にも5点を仕上げる予定だ。
 剣心の店は、普通の花屋とはかなり異なる。まず、店にはそれほど多くの切花を置いていない。それは、剣心の受ける仕事がオーダーメイド中心だからである。まず客は、事前にどんなシュチュエーションで、どんな相手に、何のために花が必要なのかなどを細かくヒアリングされる。それをもとに剣心がその場で絵を描き、どんなアレンジにするかを相談して決める。そして期日に作品を仕上げて納品するのである。剣心の作る花のデザインは斬新で、その匂いまで計算されたアレンジは非常に評判が高く、口コミで客が広がって今では半年先まで予約がつまっているほどだった。時には結婚式やパーティでのトータルデザインを受けることも多い。最近は雑誌などの撮影用の仕事も入ってくるようになっていた。
 忙しく働いていると、変身して服を着た左之助が2Fから降りてきた。
「なあ、剣心」
「どうした、左之?」
 鋏を手に振り返ると、左之助が真剣な表情をしている。
「俺、ここで雇ってもらえねぇかな?」
「ここで働きたいのか?」
「うん。着るものも食うものも世話になっといて遊んでるわけにもいかねぇし。なあ、いいだろ?」
 左之助と一緒に、この店で働く。
 なぜかそのことに思い至らなかったが、言われてみればそれが一番自然な気がする。何よりそれはきっととても楽しいに違いない。剣心は嬉しくて思わず顔をほころばせながら言った。
「じゃあ、エプロンしないとな」
 生成りで厚手のエプロンを取ってきて、左之助につけてやる。
「ほら、これで立派な、花屋のお兄さんの出来上がりだ」

「左之、もう仕事にはすっかり慣れた?」
「・・・クゥ」
 左之助は小さくのどの奥で鳴いて返事をした。なんといっても今は、左之助が一番楽しみにしている、寝る前のブラッシングの時間である。ごろんとひっくり返ってお腹を出した姿は、普段の精悍な姿からは想像もつかない。
「左之が店で働くようになってから明日でもう1ヶ月だな。左之が来てくれて本当に毎日助かってるよ。力仕事は全部やってくれるし、手先も器用だし 」
 実際、左之助の働きぶりは期待以上で、今ではすっかり店になくてはならない存在になっていた。
 基本的に左之助は犬の時と人の時、行動を意識して変えることはしない。剣心にとって犬の姿で甘えられるのは違和感なく受け入れられたのだが、人の姿で甘えられるのは当初非常にとまどった。しかし、どちらも同じ左之助なのだ、と言い聞かせて接することで段々と慣れていって、今では人型の左之助に膝枕で耳かきをしてやる事も何とも思わなくなってしまった。
 ふと、今まで生きてきた中で、これほど短期間にここまで心を許せる存在は左之助が初めてであることに思い至る。子供の頃からいつも一人ぼっちだったし、大人になってからは優しげな外見もあって表向き人当たりよくすることも覚えたが、今心の底から笑っている自分に気づいた時、側に居るのは左之助だ。
「ホントに、左之が来てくれてよかったと思うよ」
 左之助はまたクゥゥ、と喉をならすと、剣心の手に頭をこすり付けてきた。
「それにしても、左之はよくもてるよな」
 昼間の出来事を思い出して、剣心は思わず笑いがこぼれた。店の前で普段はあまり聞かれないタイプの若い女性たちの声が聞こえるな、と思って出てみたら、10人足らずの女子高生が店をのぞきこんでいたのだ。話してみると、彼女たちは近隣にあるミッションスクールの生徒たちで、そのうちのひとりの家に左之助が花の配達に来て見知り、皆で店に来てみたのだという。左之助は意外にもフレンドリーで 彼女たちと一緒になって騒ぎ、帰りにも手を振って見送っていた。
「左之はどんな女の子がタイプなんだ?今日いた子の中に気に入った子とかいなかったのか?」
 ブラッシングが終わり、左之助は伸びをしながら人型に変化していた。
「・・・獣は、人間と恋愛禁止なの。」
 ふわあ、とあくびしながら面倒くさそうに言う。
「えっ、そうなのか?」
「うん。・・・獣の一族ってのは純血にすげーこだわってて、人間の血が混ざるのを忌むんだ。村にはそういうしち面倒くさい決まりがいっぱいあってさ。俺の親父はそういうのに反対で・・・俺んちは村八分っつーの?そんな感じだったんだ」
「そう・・・だったのか・・・」
 左之助が自分の過去について語るのは初めてだった。一緒に暮らすことになった時、左之助の過去や事情には頓着しないと決めた。だから剣心の方からあえて問いただしたりはしなかったのだ。 しかしこの時なぜか剣心は動揺する自分に気づいていた。一体左之助の言葉の何がひっかかったのだろうか、と考え込む。
「それより剣心のほうこそどうなんだよ。」
「え?」
 突然話題が振られ、頭が追いつかない。
「好きなタイプ。つか剣心、自分の方こそもててんじゃんよ」
「は?何いってるんだ左之は。今日の子たちはみんなおまえ目当てだったんじゃないか」
「今日じゃなくてさ。いっぱいいるじゃん、いろいろさ。・・・もしかして剣心、すっげー鈍感?」
「失礼だな。そんなことないよ。大体俺はもてたことなんか一度もないし」
「は〜、この人全然自覚ないわ。気の毒ぅ」
「一体誰のこと言ってるんだ?」
「いいって、気づいてないんなら。うん。いい、いい。ま、いよいよとなったら俺が護ってやっからさ」
 そういって左之助は犬に戻ると、尻尾を振り振りベッドにあがる。
 剣心は首をひねりながら続いてベッドに入ってきた。左之助は剣心の瞼を優しく舐め、眠りに落ちるまでその手を尻尾で撫で続けた。子供のように安心しきった顔で眠る剣心の顔を見つめる。
 こうやって人間と暮らすことになるなんて、思いもしなかった。病院にいたころは、正体がばれる前にこっそり抜け出そうと思っていた。なのにいつしか、毎日見舞いに来てくれる剣心の顔をみるのが待ち遠しくなっていた。その人柄を知るたびに好ましく思い、同居人だと言って笑ったその笑顔に、彼だと思った。少しでも明確な絆が欲しくて、マスター契約を交わした。
 お人よしで、でもどこか強かで、はっとするほどキレイで。なのに自分の美貌には無頓着で、あからさまに寄せられる好意にも気づかないでいる。守ってやらなければ、と思ってしまう。
 今まで何人がそう思わせられ、すげなく袖にされたてきたのかはわからないが、今一番彼の側にいて、彼を守るのは自分なのだ。
 左之助はそっと剣心の頬に額を擦りつけた。


 >>
 












 

inserted by FC2 system