BAD DOG NO BISCUIT

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 穏やかな日常が続いていたある日。
 その時、左之助は配達に出て不在だった。
 カラン、と店のドアベルが鳴る。
 振り返った剣心の視界に入ってきたのは、一瞬女性と見間違えたほど優しげな容姿の若い男の子だった。
「いらっしゃいませ・・・」
 剣心の言葉に、誰もが心を開かずにはおれないだろう魅力的な笑みを浮かべて、小さくうなずく。
「へえ、ステキなお店なんですね」
「あ、ありがとうございます。何がお入用でしょうか?」
「そうですねぇ。じゃ、あなたの命を」
 相変わらず人懐こい笑みを浮かべたまま、少年は言う。
「・・・え?」
 相手の言葉が理解できず、反応を返すことができない。
「キレイなお花であふれたこのお店の中でも、一番キレイで可愛らしいものが欲しいと思うのは当然のことだと思いませんか、緋村さん・・・?」
「な・・・何を言って・・・?」
「あぁ〜、なんかムカつくなあ。どうして左之さんがあなたみたいな人をマスターに選んだんだろう?マスターなんて、人間なんて獣には必要ない。大体、マスターなんて決まり、とっくに廃れたばかりか、いまじゃ禁止されてるっていうのに」
「・・・君は・・・一体?」
 優しい笑みを浮かべながら、一歩剣心に向かって踏み出す。
「気高い獣が人間ごときを命がけで守るなんて、馬鹿みたいだと思いませんか?左之さんも左之さんなんだ。自分の価値を、何もわかってない」
 相変わらずの笑みの中心にあるその瞳が深いブルーに輝きはじめる。剣心は射すくめられたように動けない。 強い明確な殺意を直に感じ、背筋が凍りつく。
「ねぇ、人間風情がどうやって左之さんをたらしこんだんですか?・・・まああなたさえいなくなれば、左之さんの目だって覚めるでしょう。人間なんか、守る価値もない存在だって。」
「あ・・・あ・・・」
「だから、消えてください、緋村さん。・・・いいえ、僕が、消してあげます。骨のひとかけらも、肉の一片も残さず、全部食べてあげますよ。そうすればあなたは僕のものだ」
「君は・・・もしかして左之と同じ種族の・・・」
「ご名答です。ついでにいうと、あなたが左之さんを拾った原因を作ったのも、この僕ですよ」
「じゃああの夜、左之に怪我をさせたのは・・・!」
「だって左之さんときたら、本当に強情なんですから。僕たち獣の一族が、外の世界に出ることは許されません。掟を守れない者には、死あるのみですよ。なのにあなたときたら余計なことをしてくれて。挙句の果てに犬神の契約ですって?」
 相変わらずにこにこと笑みを浮かべながら、しかし明らかに殺気を纏って男は剣心にまた一歩近づいた。
「許せないなあ。絶対に許せない。・・・ねぇ、どうやって殺して欲しいですか?僕の牙で、そのか細い首を食いちぎってあげましょうか。それともその白い肌をズタズタに引き裂いて、内臓を引きずり出して欲しいですか?」
「なっ・・・!」
 本能的に相手が本気であることを悟った剣心は、恐怖にさらされながらも武器になりそうなものを探すが、とっさのことで体の動きもままならない。とうとう男は剣心の前に立つと、手を伸ばして長い髪の毛に触れた。
「ゾクゾクしちゃうなあ。緋村さんの髪、絹糸みたいにサラサラだ。なんかいい匂いするし、きっと血も甘いんだろうな」
 その時、店のドアが乱暴に開け放たれ、黒い影が飛び込んできた。
「宗次郎!そいつから手を離せ!」
「左之・・・!」
 剣心が驚きの声をあげる。
「おや、左之さんお帰りなさい。もう少し遅かったらこの人の血の匂い、嗅げたのにね。惜しかったなぁ」
「こんなとこまで嗅ぎつけてきやがって・・・ずっと俺を見張ってやがったのか」
「ねぇ左之さん、何度もいうようですが、村に帰りましょうよ、ね?」
「俺はもう、あそこに帰るつもりはねぇ。大体俺のことなんてほっておけばいいだろ。なんで宗次郎、お前がそこまで出張らなきゃならねぇ」
「獣の一族は村から出てはならない。僕ら自身の身を守る為の大切な掟ですよ。左之さんもそれはよくわかってるはずじゃありませんか」
「・・・俺はもう、その掟ってやつにうんざりしてんだよ。人間を必要以上に敵視して、閉鎖的になりすぎてる。息苦しくて反吐がでそうだ。大体あの村に俺の居場所はもうねぇよ。宗次郎、俺のことはもう放っておいてくれ。獣の一族に迷惑をかけるような真似はしないと絶対に誓う。俺は 嵐の日におまえにやられて死んだんだ。それでいいだろ」
「駄目です。そんな口約束なんて、何の確約にもならない。この先あなたが人間の世界で生きていく中で、獣の存在を衆目に晒さない可能性が全くないなんて、それこそナンセンスでしょう」
「・・・それは村の決定か」
「いいえ、僕の独断です。人間から種族を守る障害になるものは、どんなものでも見過ごせませんからね。それに・・・」
 宗次郎と呼ばれた青年は、剣心に向き直って微笑んだ。
「左之さん、この人がマスターですって?」
「そうだ。」
 宗次郎はそれを聞いて心からおかしそうに笑う。
「マスター?こんな人間を?あんまり笑わせないでくださいよ。僕らの種族は、人間なんかよりよっぽど優れた存在なんだ。大体その制度は何百年も前のことで、今はもう 人間は僕たちの親愛に値しないからって禁止までされてることでしょう。それを今頃どうして・・・」
「こいつは、俺の命の恩人だ。それに、そいつはマスターに値する存在だ。俺の選択を、お前にどうこう言われる筋合はねぇ」
「それで?あなたはこの人に言ったんですか、命をかけて守るって?」
「ああ。」
「あはははは!これは傑作だ!わかりました。じゃあ僕は、掟に反抗的なあなたに、マスターを守る力がないことを思い知らせて差し上げますよ」
「そんなことは、絶対にさせねぇ!!」
 左之助は瞳を金に光らせ、怒りを露に叫んだ。
「まあそれは今夜にでも分かるでしょう。・・・あの嵐の夜の場所で、待っています。じゃ、僕はこれで。緋村さん、またお会いしましょう」
 宗次郎は激しい左之助の怒りをさらりとかわし、しなやかな動きで店を出て行った。
 二人きりになったとたん、慌てて左之助が剣心の側に走り寄ってくる。
「左之・・・」
「剣心、すまねぇ。俺が戻るまでにあいつに何かされてなかったか?」
「それは大丈夫だけど・・・それより、今夜って・・・」
「・・・あの嵐の夜に俺を殺せたと思って村へ帰ったと思ってたんだが・・・甘かったぜ。俺が生きてるってばれちまってる以上、あいつとは決着つけなきゃいけねぇ。・・・だいじょうぶ、心配すんな。おめぇは俺が絶対守るから」
 不安に瞳を潤ませる剣心を、安心させるようにぎゅっと抱きしめる。
「約束だもんな。俺の命かけても、おめぇを守るって」
「左之・・・」
「すまねぇ、こんなことに巻き込んじまって。宗次郎は・・・親を人間に殺されてんだ。だから特別人間が憎くてしょうがねぇんだよ。でも俺は絶対に負けねぇから 」
 剣心の方は不安のあまりほとんど仕事が手につかなかったが、左之助は普段どおりに終業まで働き、ちょっと買い物に出かけるような気軽さで出て行った。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ。悪いけど、先に帰ってあったかい飯と風呂、頼むな」
 青ざめて固い表情の剣心を安心させるように、左之助は頭を抱き寄せる。
「だいじょうぶだって。俺には守るものがあんだ。絶対負けないから」
「・・・う、うん・・・。気をつけて」
 かろうじて言えた言葉はそれが限界で、剣心はただ左之助の後姿を見送るしかなかった。

 帰宅後、左之助の好物ばかりを作りながらも、頭は混乱と恐怖の極みにあった。
 養父から古流剣術を仕込まれていた剣心には、ひとめみただけで宗次郎の力量はかなりのものだと想像がついた。なによりあの嵐の夜でのことを思うと、いてもたってもいられない気持ちになる。
 もし、左之助が負けたら。
 自分自身の命については、あまり考えに上らなかった。
 それより、左之助の身に何かあったら。
 だいじょうぶだ、と優しく抱きしめて耳元で囁かれた声が、失われてしまったら。
 生まれて初めて「家族」と呼べる存在を得られたと思った。今となってはもう、左之助のいない生活など考えられない。剣心は誰かを失う、という恐怖に初めて怯えた。
 料理は作り終えた。テーブルセッティングもできた。でもまだ左之助は戻ってこない。
 今、ふたりは戦っている最中だろう。宗次郎は間違いなく、左之助と自分を殺すつもりだ。左之助は自分を守る為に命がけで戦ってるというのに、自分はこんなところでただ待っていていいのだろうか。たまらない焦燥が剣心の胸を焼いた。ふたりの戦いの場に自分が顔を出すことは、左之助にとって決定的なマイナス要因になるのは間違いなかった。
 だけど、このまま勝敗が決するのを漫然と待つのは、これ以上耐えられない。
 剣心は物置の中から、一振りの木刀を持ち出す。
 自分の腕が、獣という種族の力にどれほど通用するかわからない。ただ、黙ってやられる気はなかった。
「左之、今行くから・・・」
 剣心は助手席に木刀を置くと、車を出した。左之助を拾った場所の周辺から考えて、ふたりがいそうな場所には目星がついていた。外は、雨が降り出していた。

 空き地にたどり着いて車を降りたとたん、激しい唸り声と動物の駆け回る物音が耳に入った。
 二頭の獣が激しく取っ組み合い、噛み付き合っていた。一匹はシベリアンハスキーで、もう一匹はドーベルマン・ピンシャーだ。互いに満身創痍だが、どちらも一歩も引こうとしない。しかし左之助は先日の傷がやっと癒えたばかりなのだ。血で真っ赤に染まった右足を引きずる様を見て、剣心は総毛だった。
「左之・・・!」
 思わず悲鳴をあげる。慌てて口を塞いだが、もう遅い。
 一瞬にして2匹が剣心に気づく。ハスキーは怒鳴りつけるように一声吼えた。ドーベルマンはニヤリと犬歯を剥き出し、青く瞳を闇の中で光らせる。憎しみを込めた唸り声をあげながら、剣心に向かって突進してきた。
 ハスキーは悲鳴のような咆哮をあげ、必死に後を追う。
「ガアアアアァァッ!!」
 剣心に飛び掛ろうとしたドーベルマンにハスキーが体当たりし、2匹はものすごい勢いで吹っ飛んだ。
「ギャンッ」
 そのまま2匹は地上で取っ組み合い、ドーベルマンの首元に深々と噛み付いたハスキーは力任せに首を振り回した。ドーベルマンの首筋からは血がどっと溢れる。しかしドーベルマンはなんとかハスキーの腹を蹴ってその顎から逃れることに成功した。ドーベルマンはもうハスキーには目もくれず、再度剣心に向かって突進してきた。ハスキーも慌てて後を追うが、傷を負った右足のせいでスピードがでない。
「グワアアアァーッ!!」
 あっという間に目の前に、憎しみに燃えた青い瞳が迫ってくる。
 速い、と思った瞬間には、もう目前に来ていた。長い足が、自分に向かって地面を跳躍する。
 一瞬剣心の頭の中は真っ白になった。体が勝手に抜刀術の構えを取る。
 重い手ごたえ。渾身の力で振りぬく。
「ギャアアッ」
 我に返った時には、地面に血を吐いたドーベルマンが倒れ、駆け寄ってきた左之助に抱きしめられていた。
「剣心・・・!」
「さ・・・左之・・・」
「どうして来たんだよっ。待ってろって言っただろっ」
「左之が・・・左之が心配で・・・怖くて・・・」
「・・・そっか。ありがとな」
 震えている身体をぎゅっと抱きしめる。
「か・・・彼は」
「ああ。ちょっとみてみる」
 そう言って左之助はドーベルマンの前に膝を折った。
「・・・気を失ってる。首んとこの噛み傷と・・・一番ひでぇのはおめぇにやられた傷だな。肋骨が2,3本いかれてらぁ」
「・・・そうか」
「それにしても剣心すげぇな。俺ぁもう剣心がやられちまうと思って・・・」
「すまない。勝手に手を出して・・・でも・・・お前が俺の為に命をかけてくれているんだから、俺も同じ風に・・・お前に返したかったんだ」
「・・・そっか。ありがとな」
「左之、傷は?」
「ああ、それほど大したのはねぇよ。だいじょうぶだ。おめぇもずぶ濡れじゃねぇか。帰ろうぜ」
「ああ・・・」
 左之助に促されて立ち上がった剣心は、地面に倒れこんでいるドーベルマンを一瞥した。
「左之・・・彼は・・・」
「・・・まあ獣の生命力の強さはハンパじゃねぇけど・・・このままほっときゃ、危ねぇな」
「・・・左之、我がままを、聞いてくれるか?彼を・・・助けたい。病院へ、つれて行きたいんだ」
「俺たちを、殺そうとした奴だぜ?また元気になったら、狙ってくるかもしれねぇんだぞ」
「それでも・・・俺はこのまま見殺しにはしたくないんだ・・・」
「わかった。・・・剣心ならそう言うんじゃねぇかと思ってたよ」
 そう言って左之助はドーベルマンを抱えあげると、歩き出した。

 再度の時間外の訪問に気がひけながら、剣心は小国動物病院のインターフォンを押した。そして脱走した左之助とドーベルマンとが喧嘩になったことにして、両方の治療を受けさせてもらった。より重症だったドーベルマンはそのまま入院となり、左之助の方は数箇所を1,2針縫って帰宅が許された。
「また、大物拾っちゃいましたね、緋村さん」
「はい・・・運ですかね?」
 獣医師に答えて、笑顔をみせる。
「またな、宗次郎」
 剣心はケージの中で眠るドーベルマンに、そっと語りかけた。

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