BAD DOG NO BISCUIT

1/2/3/4

 

 

 

 家に帰り着くなり、剣心は玄関先にへたり込んでしまった。
「剣心・・・?だいじょうぶか」
「いや・・・なんか、ほっとして」
「・・・ごめんな、剣心。心配かけて」
 左之助は剣心の頭を抱き寄せ頬を押し付けた。
「左之、泥で汚れてる。縫ったから湯船につかるのは無理だけど、シャワーだけでも浴びるといい。やりにくいだろう、俺が手伝おうか?」
「えっ、マジ?」
 犬の時はいつも洗ってやってるのであまり深く考えずに剣心は申し出たのだったが、実際見慣れているはずの左之助の裸体をバスルームで目の当たりにした時、なぜか視線を逸らしてしまう自分に気づいて意外に思う。左之助の身体は細身だが無駄のないみっしりとした筋肉に鎧われ、まるで彫像のようだった。浅黒い肌は滑らかな光沢を持ち、野性的な力強さに満ちていた。自分とはまるで違う、男性的な魅力に溢れた左之助の体を直視するのが、なぜか恥ずかしい。
 広い背中を洗ってやっている時、左之助が言った。
「でも剣心があんなに強いとはな!正直びびったぜ」
「・・・あの時左之が、俺を守ろうとしてあんなに必死になってるの見て・・・そしたら、そしたら俺も、お前を守りたいって・・・そう思ったんだ。そう思ったら頭が真っ白になって・・・」
「剣心・・・」
「ヘンかな?」
 恥ずかしそうに顔を赤らめてうつむく。
「ヘンなんかじゃねぇよ!俺すっげぇ嬉しい、剣心にそんな風に思ってもらえたなんて・・・」
 左之助は感極まったようにぎゅっと剣心を抱き寄せた。
「でもよかった、大した怪我にならなくて・・・」
「ありがとな、剣心のおかげだ・・・って、ご、ごめん!濡れちまった!」
 左之助の身体を覆っていたボディーソープで剣心の服は泡まみれになってしまった。
「もうこのまま一緒に浴びればいいじゃん。ほら、脱げよ剣心」
「えっ・・・ちょ、ちょっと・・・」
 有無を言わさずシャツのボタンを外されて、胸を露にされてしまう。現れた桃色の乳首と、ミルク色の肌を目にした途端左之助の体が固まった。
「あっ・・・ご、ごめ・・・」
「い、いや・・・。そ、そうだな。このままだと俺も風邪引きそうだし・・・一緒に浴びさせてもらうかな」
「あ、うん・・・」
 意を決したように自分から服を脱ぎ捨てた剣心の身体を見て、左之助はさっと視線を逸らせ顔を赤らめた。剣心の身体は小柄ではあったが均整の取れた、まるで小鹿のような優美さがあった。
「こ、今度は俺が背中流してやるから」
 そういって左之助は剣心の後ろに座り、背中を流し始める。
「剣心の肌って、真っ白でつるっつるなのな!赤ん坊みてー」
「そうか?俺は左之みたいな広くて厚い背中がカッコイイと思うよ。俺のは貧弱で・・・」
「そんなことねぇ。剣心はキレイだよ。顔も身体も、心もなんもかも・・・」
「・・・左之?」
「剣心・・・俺・・・」
 左之助は背後から腕を回し、剣心を抱きしめた。
「さっ、左之・・・!?」
 剣心は抱きしめられた腰の辺りに当たったものの感触の意味に驚き、身体を強張らせる。
「あっ、ご、ごめん俺っ・・・!」
 左之助は慌てて腕を放すと、バスルームから出て行ってしまった。
 そして後には混乱した剣心がひとり、泡だらけのまま残されたのだった。
 剣心は初め、左之助の年頃にはよくあること、と思い、ちょっとした事故として自分にも言い聞かせていた。しかし、あの時の左之助の切羽詰ったような、切ない声が胸に迫る。もしかして左之助はずっと、思いを胸の奥に隠したまま、毎日自分と暮らしていたのだろうか。そう思うと、剣心の胸もなぜかぎゅっと締め付けられるような思いがした。
 とりあえず、風呂から出たらきちんと左之助と話さなければ、と剣心は思った。

「左之・・・?」
 寝室に入ってみると、左之助の姿はどこにもなく、ただベッドの真ん中がぽっこりと膨らんでいる。
「さぁーの。ほら、出ておいで」
「クゥ・・・」
 布団をひっぺがすと、しょぼんとした顔の左之助が犬の姿で丸くなっていた。
「左之、ちゃんと話そう、な?」
 そういうと、こくりとうなずき人型に変身した。
「ごめ、剣心・・・俺・・・」
「左之、なんで謝るんだ?おまえは何か悪いことでもしたのか?」
「剣心はマスターで主人なのに、それなのに俺・・・最初は、ただ大事なマスターだから、って思ってただけだったんだ。だけど・・・段々剣心のこと、かわいいとか、好きとか思うようになっちまって・・・そんなのって、いけないことだろ?剣心はオスで、俺もオスなのに・・・」
「左之・・・」
「獣の掟では、オス同士が好き合うのは絶対の禁忌なんだ。子孫が残せなくなっちまうから・・・剣心は人間で、その上オスで、だからダメだってずっとずっと思ってたのに・・・俺、ヘンなんだ。頭から剣心のことが離れなくて・・・剣心のこと思うだけで、こんななっちまうし・・・。ずっと頭ン中で剣心のこと汚して・・・ごめん。俺、犬神失格だ。今日だって剣心のこと守りきれなかったし・・・」
「そんなことない。左之はちゃんと俺のこと守ってくれたよ。それに、俺たちは家族だって言ったろ?お互いが守りあうのは当然だよ」
「でも、俺もうここにいられねぇ。だってこんなの、気持ち悪いだろ、剣心?」
「左之、目、つぶって」
「う、うん・・・」
 剣心は左之助に目を閉じさせると、そっと唇を落としていった。
「け、剣心・・・っ」
 柔らかな感触が唇であることを悟った左之助が、驚きの声をあげる。
「左之は、今の気持ち悪いと思った?」
「い、いや・・・。すっげぇ・・・すっげぇ、気持ちよかった」
「俺も、気持ち悪いなんて思わなかったよ。左之に触れられて、嬉しかった」
「ほ・・・ほんとか、剣心?」
「うん。」
 左之助の純粋で素直な感情に触れることで、剣心自身も自分の胸の奥にあった感情に気づき始めていた。女子高生たちに囲まれていた時に感じた、ちくりとした胸の痛み。あれは嫉妬ではなかったのか。人間との恋愛は禁忌なのだと聞いた時、感じたのはショックではなかったか。
「じゃ、じゃあ、他のとこに触っても、いい・・・か?」
「えっ・・・!?」
「だって、気持ち悪くない、って言ったろ?だったら他のとこ触っても、いいってことだよな?」
「ちょ、ちょっとまって・・・」
「・・・やっぱ、ダメか?俺じゃ・・・」
 途端にキューン、とうなだれる様を見ると、とても強く否定することなどできない。かといって剣心の方も、たった今気づき始めたばかりの思いに、いきなりそこまで応える度量はなかった。
「ダメじゃ、ないけど・・でも、ちょっとまだ、」
「ダメじゃないなら、いいじゃねぇか!」
 左之助は勢いをつけてベッドから飛び上がると、そのまま剣心に飛び掛っていった。

 翌朝。
 剣心は裸の左之助の胸に深く抱きしめられた状態で、目を覚ました。
「おはよ、剣心」
「あ・・・左之・・・?」
 一瞬頭が混乱する。左之助はいつも寝る時は犬の姿ではなかっただろうか。
「なんか俺、すっげー嬉しくて、コーフンしすぎて一睡もできなかったわ。でも剣心の寝顔見てたから、全然退屈しなかったけどな。でもごめんな、あんな無理させるつもりなかったんだけどよ・・・つい、なんつーの、溜まりに溜まってたもんが爆発しちまったっつーか」
 嬉しげにまくし立てて頬を摺り寄せる左之助に、昨日の記憶が一気によみがえる。
 そう、あの後自分は強くはねつけることができなかったのをいいことに、左之助にそれこそ好きなようにされてしまったのだ。
 剣心が呆然としているのを敏感に見て取ると、左之助はおろおろとして言った。
「やっぱ、やだった・・・?後悔、してるか?」
 ほとんど強引に、左之助の熱情に流されるままになされた行為ではあったが、左之助の腕は暖かく、優しかった。何より、左之助に触れられる度に剣心をいとおしいという思いが流れ込んできて、こんなにも愛されることが幸せなことだとは重いもよらなかった。今では、左之助への思いも自分でしっかりと受け止められる気がする。
「ううん。後悔なんて、してないよ。・・・俺も、左之が好きだから」
 その途端、左之助は尻尾だけを出してブンブンと激しく振り回しながら、剣心の唇に何度もくちづけの雨を降らせた。
「よかった〜っ!すっっげぇ嬉しい!あーもう俺、今死んでもいいっ」
「あはは、バカだな」
 左之助の首に両手を回して、抱き寄せる。
 こうして、ふたりは本当の家族になっていくのだ。

 そして数日後。
 無事退院した宗次郎を、剣心は一旦自宅へ連れ帰った。
 目の前では、敵意を含んだ眼差しで宗次郎を見つめる左之助が椅子に座っている。
「へえ、ご自宅の方もステキですね」
「で、宗次郎。てめぇこれからどうすんだ。まさかまだ俺たちを狙うなんてこた言わねぇよな」
「ええ。僕、決めたんです。緋村さん、僕のマスターになってください」
「ええっ!?」
 予想だにしなかった言葉に、ふたりは飛び上がった。
「おい待て宗次郎。剣心はもう俺のマスターなんだよ。寝ぼけたこと抜かしてんじゃねぇぞコラ」
「そんなの、それこそ左之さんが言ってたでしょ、くだらない掟だって。僕、緋村さんに一目惚れしちゃたんです、あそこで戦ってる時に。だから、ね。僕をずっと側に置いてください、緋村さん♪」
「バカいえ!俺と剣心の間に、てめぇの入り込む隙間なんぞカケラもあるもんかよ!てめぇはさっさと村にでも帰ってろ!」
「いやです。それに、僕の治療代、緋村さんに立て替えてもらってるから、返さなきゃいけないし。ねえ緋村さん、僕もあのお花屋さんで雇ってくれませんか?僕一生懸命働いて、治療費返しますから」
「いいっ!おめぇの治療費は俺が働いて返すから、とりあえずおめぇは村帰れ!んでもう二度と戻ってくんな!」
 左之助は地団駄を踏んで拳をつきだした。喧嘩になりそうな気配を察し、剣心が言った。
「宗次郎・・・すまないが、うちにはこれ以上大型犬を飼う余裕もないし・・・店も手は足りてるから。治療費は・・・またおいおいでいいし・・・」
「そうですか・・・わかりました。でも、僕、諦めませんから。きっとあなたの犬神になってみせます」
 そういって剣心の手をとり、甲にくちづけてから宗次郎は笑顔で去っていった。
 左之助は表まで走っていって、盛大に塩をまいていた。
「くっそー。そうくるとは思わなかったぜ・・・。人間嫌いの反動がでちまったか。これからも油断できねぇな」
「まあまあ。敵意を持つのはやめてくれたみたいだし、よかったじゃないか」
「よかねーやいっ。剣心は・・・嬉しかったりすんのか、あいつに惚れたって言われて」
「まさか。俺には左之がいるもの」
 そう言って剣心は左之助の唇にそっと触れ、駆け出した。
「ほら、そろそろ晩ご飯作る時間だよ。今日は何が食べたい?」
 左之助はがうっ、とほえながら剣心を追いかけ、腕の中に閉じ込めていった。
「メインディッシュは、剣心な!」

 

2007.11.6了
 
 












 

inserted by FC2 system