=鷹宮 椿
=佐倉 裕

 

   ●翌々日、青空が長屋を訪れた。先方の都合で仕事ができなくなり、行くや戻る羽目となったらしい。
    「まあ、約束の賃金は戴いたので、すこし心苦しいですけど・・・それで、何か?」
     左之助はこれまでのいきさつと計画を打ち明けた。
    「・・・で、俺があいつを連れて歯車を持っていくから、あんたにそれを元に戻してもらいてえんだ。宿は、俺が絶対ぇ捜し出せやしねえとこを手配しとくから、あんたはそこで待っててくれ・・・なんだ?」
     青空が笑いを噛み殺しているのに気付いて左之助が訝しむ。
    「いえ、連れていくだなんて斬左さん、あの子のことが・・・それとも抜刀斎ですか、いずれにしても随分・・・」
    「うるせえな」
     頬に朱を刷き、左之助が憮然となる。
    「褒めてるんですよ。人形はただの『物』じゃない。字の如く人形(ひとがた)なんです。人のように扱ってあげなくてはね」
     そう言った青空の目は優しい。左之助の彼の見方が少し変わった。
    「仲村様には、予定通り明後日戻ると電報をかけてありますから、実行するなら今夜か明日の晩か・・・」
    「今晩、と言いてえとこだが、そうもいかねえな。明日の晩だ。あんた、こんなとこまで歩いて来て、仲村の者(もん)に見つかってくれるなよ」
    「大丈夫ですよ。仲村様以外は私の顔を識りませんから」
     連絡を待っていると言って、人形師は腰をあげた。左之助も出かける頃合いだ。
     その夜、来てくれたら計画を話そうと思っていたのだが、抜刀斎は眠ったまま目を醒まさなかった。     
   翌日。左之助は昼頃に例の下女を呼出した。彼女は大喜びでいそいそと出向いてくる。
    「あのよ、あの人形の着物、着てみたくねえかい」
     暫くの雑談の後に本題を切り出す。娘の顔が明るく輝き、すぐに曇った。
    「そりゃ着てみたいけど・・・でも、どうやって?みつかったら旦那様にこっぴどく叱られる」
    「夜んなったら蔵に忍んでこいよ。そしたら人形の着物とお前ぇの着物取替えてよ、夜の内に元に戻しちまえば誰にも判りゃしねえだろ。俺に女っぷりのあがったとこ見せてくんなね」
     彼女は、人形の着物を着られることよりも、左之助と夜の蔵で忍び逢うほうに興味をそそられたらしい。
    「うん、判った。幾つに行けばいい?」
    「そうだな・・・四つ頃かな。もう皆、寝ちまってるだろ?」
    「うん、うん。四つね。きっと行くから!」
     元々赤味のかった頬がさらに上気している。軽やかに手を振り、娘は弾むような足取りで帰っていった。さすがに少し、良心が痛む。だが今は、そんなことを気にしている余裕はない。
     青空への伝言を頼みに、舎弟の一人の長屋へ向かった。      
 時間に少し遅れて、娘が来た。瞳がきらきらと期待に輝いている。口を開こうとしたのを、周囲に聞かれるとまずいと押し止めた。もちろん、声が漏れるはずはないが、彼女のおしゃべりに付き合っている暇はない。
    「よし、今開けてやらあ」
     彼女に、というよりも抜刀斎に聞かせるつもりで呟いた。左之助が錠を壊すのを、娘は賛嘆の面持ちで見守った。蓋が開いた瞬間、薄暗い蔵の中が光りに満たされたようだった。
    「うわあ・・・」
     下女が感嘆の声を漏らす。
     梔子色の綸子に七宝柄の乱れ熨斗を染め抜き、その上に桜を散らした、艶(あで)やかな比翼の大振り袖。娘には見るのさえ初めての豪奢な着物だ。
    「ほら、早く着ちまいな。あっち向いてっからよ」
    「あ・・、う、うん」
     左之助が抱き上げて、人形の着物を手早く脱がす。下着さえ練り絹だ。脱がせた着物を娘へ抛ってやった。高価であり、華麗であり、人形に剣心によく似合ってもいたが、剣心自身はそんな衣装を纏わせられることを望んでなどいまい。
    「お前ぇの着物、脱いだら寄越せよ」
     高揚している娘は、左之がおかしな言い出しをしているのに気付かない。
     娘と人形の着物を取替えさせた後、娘を気絶させ、娘は箱の中に、人形は外で待っている仲間に渡し、青空の待つ宿へ届けさせる。手拭いでも被らせてしまえば、傍目には人形は町娘に見えるはずだ。その後で、仲村老人から歯車を奪って逃げる。
気絶させてしまえば、宿まで行く時間は稼げる。どこまで上手くいくかわからないが、荒事は得意中の得意だ。
    「斬左さん、はい。投げるわよ」
     声と共に、細かい縞模様の、小豆の色が抜けて白茶けた小袖が、ふわりと飛んできた。
「おうよ」
    左之助は片手でその着物を掴むと、剣心の体に手早く着付けた。白い肌についつい目が行ってしまうのを無理やり押さえ、頭の中で剣心に弁解しながら、である。
    「おい、俺あ、おめえの裸なんざ見てねえからな。」
    そして歓声を上げて着付けの具合を確かめている下女の背後に廻ると、軽く彼女の首根っこに手刀を振り下ろした。女は、一瞬の内に昏倒する。最も早く気を失う所を正確に狙ったのでさして痛みも感じなかったはずだ。目覚めた時には何が起こったのかまるでわからないに違いない。
    「すまねえ。許してくんな」
    左之助は女に手を合わせると、抱き上げて桐の箱の中に収めた。蓋を微妙にずらして閉じ、空気を確保する。
    「こんどは、おめえの心臓だ。」
    左之助は剣心を大事に腕に抱え、土蔵を降りた。しかし剣心を抱えたまま仲村の寝室に忍ぶわけにもいかず、逃げるルート上にある潅木の中に一旦隠す。
    「ちょっと待っててくれ。おめえの心臓を取りかえしてきてやっからよ。」
    左之助はそっと剣心の頭を抱きしめ、何度か髪を愛撫した後駆け出していく。
    カクリ、と人形の首が、力なくうな垂れた。
      仲村の寝間は、一番奥の部屋にある。左之助はこの数日の間、この家をくまなく調べ上げていた。仲村が夜は一人でやすむことも調査済みである。問題は仲村一人を片付ければ済む。それほど難しくはない。
    左之助は寝間の襖に穴を空け、中をうかがう。部屋の中では布団が敷かれている。いつも通りの夜である。仲村は夜が早い。この時間なら、すっかり寝ついているはずである。左之助は暫く中をうかがって、中村が寝ている事を確かめた。
    (よし、大丈夫だ。出来るだけ目を覚まさせないようにして、もし見つかったら眠らせればいい。)
    左之助は用心して音を抑え、部屋に侵入する。仲村が常に身につけているものは二つのはずだ。まず、人形の箱の鍵。そして、もうひとつが剣心の心臓、・・人形の歯車だ。
    そうっと、そうっと左之助は老人の布団に手を伸ばし、捲り上げた。きっと、首から鍵と歯車が下がっている筈だ。
    しかしその時、左之助は余りに目前の作業に集中していたため、背後に迫る人影に気づくのが一瞬遅れてしまった。そして相手はその一瞬の隙をついて左之助の頭に何か固い物を振り下ろしてきたのである。左之助は慌てて頭を引く。しかしその動きが仇になって、凶器は頭ではなく首の根元の急所に打ちこまれてしまった。その上他の事に集中していたところの不意をつかれたのだ。もし凶器が狙い通り頭のてっぺんに当たっていたのならば、その常人ばなれした石頭にはそれほど大きなダメージでなかったはずである。左之助は必死で相手に掴みかかろうとしたがかなわず、真っ暗な闇の中へと落ちて行ってしまったのだった。左之助は薄れる意識の中で必死にもがきながらも、剣心の名を呼びつづけていた。
  
したたかに腹を蹴りつけられて、左之助は呻き声を上げながら覚醒した。もっとも、天性の打たれ強さに加えて鍛えあげられた筋肉に鎧われた躯に、さしたる影響はない。
    「う・・・」
     開いた目に、何本もの蝋燭に照らしだされて煌々と明るい蔵の内部と、怯えた様子の青空、仲村老人と見知らぬ大男、そして下女の着物を身に着けた人形が映った。身動きがとれないと思いきや、後ろ手にきつく縛られている。急所を殴られた衝撃に未だ意識が眩み、状況が把握しきれない。
    「お目覚めですか、斬左さん」
     老人がにこやかに口を切った。
    「まったく非道い方だ。あなたを信じて仕事を依頼した私を裏切って、この子を盗もうとなさるとは。あなたが二度目に錠を壊した時から感づいていましたがね。この青空さんに診て頂いたばかりで、そう調子が狂うわけがない。大方、この子の美しさに魅せられたのだろうとね」
     穏やかに言うと、視線を横たわる剣心へと向ける。秘蔵の人形への慈しみではなく、生身の人間への欲望に似たものが、そこに籠められていた。
    「おまけにこの青空さんも長い付合いの私より、何があったかしらないがこんな破落戸に与するとは・・・。ひどくがっかりしてしまいましたよ」
     仲村が顎をしゃくったその先、人形師へと視線を向ける。 
    「す、すみません、斬左さん、やっぱりあの時に、私の姿が見られていて・・・」
     所用で外出していた老人が、たまたま左之助の長屋の木戸から出ていく青空を俥から見かけたのだという。
    「驚きました。あと二日戻らないと聞いていた青空さんが斬左さんの長屋からでてくる。これは何かあると疑うのが当然でしょう」
     青空が俯いた。左之助は溜め息を吐(つ)く。
    「青空さんにはこれからもこの子の世話をして頂かねばなりませんから手荒なことはいたしません。しかし、斬左さんはね。私は禍根を残すのは嫌いなんです。なに、私は情も実もある男です。今迄この子を護っていて下さったのは事実ですし、まだその給金もお支払してませんからね。この世の名残にこの子の動く姿をお目にかけようと思ったわけですよ」
     老人の言葉に、左之助の全身から血の気が引いた。
    「てめ・・・ちっとまちゃあがれじじい!!人形を盗ろうとしたってだけで俺のこと殺す気かっ!!」
    「当然ですよ。この子は私には自分の命より大切なんですから。さあ青空さん、この子に歯車を戻してもらいましょう」
     喚き続ける左之助に目もくれず、仲村老人は青空に歯車を差出した。
    「仲村様・・・本気ですか。今ならまだ・・・」
     青空の台詞を、面倒臭そうに手を振って斥ける。
    「歯車を戻さずともいずれ私は近いうちに滅びる。言われたことをおやりなさい」
     青空が、人形を抱えおこした。
    「青空!」
     怒鳴ろうが喚こうが、縛られた左之助に出来ることはなにもない。青空が人形の袷を左右に引きあける。左之助は目を背けた。
     絡繰をいじるための戸口は、人形の背中にあった。髪の一筋ほどの継ぎ目を、どうやってか青空が開ける。もちろん左之助は見てはいなかった。左之助は、蓋を開ける音、それに続いて青空が絡繰をいじる機械音、蓋を閉める軽い破裂音、それらを聞いていただけである。耳を塞ぎたかったが、それすら、今の彼には許されない。
    「う・・・うわっ?!」
     振り向いたのは、青空の叫び声を聞いたからだった。
  「青・・・?」
     青空ばかりではない。仲村も、大男も、顔面を蒼白にして人形を見つめている。
    『一体ぇ・・・?』
     自分も皆の視線の集まる先に目を向けて、愕然とした。始めは、どことなく人形の感じが違うと、そう思ったただけだった。やがて、違和感の源に気付く。人形の左頬に、今までなかった大きな十字傷が浮かんでいた。
     左之助はそれを見知っている。抜刀斎の、剣心の左頬にあるものだ。恐らく、醜いとして人形には写されなかったのだろうと判じていた傷だ。左之助には、それさえ彼の一部として愛しく感じたが。
     しかも、そればかりではない。ぽっかりと見開いたあの螺鈿の瞳が、周囲を検分するごとくにゆっくりと動いている。その意味に左之助が気付く前に、人形の躯が起き上がった。
     青空は完全に腰が抜けている様子で、黙ってそれを見守っている。いや、どうやら口も利けないらしい。
    「・・・ご老人」
     小さな、そして澄んだ声が蔵に響く。
    「け・・・」
     左之助は絶句した。その声は、確かに人形の発したもの。否、今や人形ではない。生身の、美少年などと形容するには、あまりに険しく鋭い雰囲気を漂わせた人物の口から発せられたものだった。
    「ご老人。御仁も志士と関わってこられたお方。俺が誰かは、名乗らずともご存知のはず」
     池の鯉のように開いたり閉じたりしていた老人の口から、ようやく声が絞り出された。
    「ひ・・・人斬り、抜刀斎・・・」
     あまりの成り行きに、左之助はなす術もなく、眼前の光景を呆然とみつめた。
     人斬り抜刀斎と呼ばれた彼は、双肌脱ぎのままで立上がり、老人の前まで歩を進めた。護衛の大男は、腰を抜かすどころか気絶している。
    「いかにも、仰言る通り。故あって人形の裡に囚われていたが、お陰でこうして出てこられた。黙って、そこにいる友人共々出て行かせて下さるならそれでよし、嫌だというなら、何、腕ずくで意を通させてもらうさ。もっとも、ご老人お一人でなにか出来るとは思わんがね」
     人形であった時と同じ容姿であるのに、まるで別人のように印象が違う。少年の浮かべた酷薄な笑みに、これが「人斬り抜刀斎」かと息を呑む。そう思った瞬間、彼が不安そうに頼りなげな眼差しを、左之助へちらりと流した。
     左之助に、人斬りと畏怖され、蔑まれた姿を見せるのが哀しいと言っているその目は、左之助の腕の中で淋しそうに笑っていた、確かに剣心に違いなかった。
  
抜刀斎の凛とした声が響く。ほっそりとした喉から出てくる音とは思えないほど、その声は強い意志が込められている。つまり、警告は一度だけで、それに従わない者は容赦なく殺す、という意志だ。その声には何の感情も含まれていない。まるで声変わりする前の少年のような高く澄んだ声は、歌でも歌えば衆人を魅了するだろうと思われた。今の彼は歌を歌うつもりは全くなさそうであるが。そしてその姿は、人形であった時とはまた違った、血が通う者のなまめかしさを帯び唇が、腕が、瞼が、動く度に目のさめるような光を纏って迫った。目を閉じても、瞼の裏に残像のように姿が焼き付けられる。
    数瞬前まで確かに動かぬ人形であったものが、突然人に変化して立ちあがり、動き、話す様に魂消る思いであった一同だが、暫くして老人が突然、けたたましく笑い声を上げ始めた。痙攣的な笑いが木魂する。
    「・・・抜刀斎!とうとう手に入れたぞ!あの日、初めてお前を見た日から、ずっとこの時を夢見てきたのだ!ああ、あの頃と寸毫変わらぬ・・、なんと美しい・・。長い間、我が身可愛さに入れ物だけをいとおしんできたが、やはり器は器だけのもの・・。あの噂は、本当だったのだ・・。とうとう手に入れた・・私のものだ・・私の・・」
    そうつぶやきながら、老人は抜刀斎、剣心に向かってよろよろと近寄り、細い肩に向かって手を伸ばす。しかし老人の皺だらけの手は、剣心が身を引いたことによって届 かず、空を掻いた。
    「こちらへおいで・・、ほら・・。私のいとし子・・。ああ、お前にまた綺麗な着物を誂えたのだよ・・、まだ着ていなかったね・・。宝石で作った簪もある・・お前によく似合うはずだよ・・、お前の為に作ったお城ももう出来ている・・。お前にふさわしいように、それはそれは豪華で美しく作ってあるのだよ・・さあ、一緒に行こう。ほらおいで・・」
    老人は執拗に剣心の体に触れようと追い駆ける。
    剣心は優雅な流れるような仕草で避けながら、変わらぬ口調で言い放った。
    「ご老人、俺は今すぐ出て行かせてくれと言ったはず。お聞き入れ下さらなくば、力ずくでも、と。俺に荒事を強いさせるおつもりか?」
    そういった剣心に、老人は血走った目を剥き出しながら叫んだ。
    「そんな事ができるものか!お前にはもう、刀もない。刀さえなければ、お前など女子供と同じだわい!お前は私のいう事を聞くしかないのだ!」
    剣心はその言葉に静かに目を閉じた。それは何かを諦めた者のようで、左之助は胸が締め付けられるような痛みを感じる。
    「では、俺の願いは、お聞き入れ下されないという事なのだな・・?」
    それには答えず、老人はなおも臭い息を吐きながら剣心を抱きすくめようと腕を伸ばす。
    剣心は辛うじて下半身を覆っていた粗末な着物の帯を外した。かすかな衣擦れの音と共に、身を覆うもの全てが取り払われる。その輝かんばかりの裸身が薄暗い蔵の明かりのなか、露わになった。
    薄い胸、細い腰、肌は透き通るほどの白さ。薄い皮膚の内側に、赤い血と肉を抑えこんでいる。その場にいるものは思わず息をのんでその姿を見つめた。
    剣心は構わず、臍の下あたりに手をやる。すると、手のひらを当てた下のあたりがぼうっと光を発し始め、そのうちにゆっくりと何かがそこから引き出されて行く。
するすると音もなく腹から出てきたのは、濡れた輝きを放つ刀であった。
    「そ、その刀は・・!」
    それまで自失状態にあった青空が、裏返った悲鳴を上げる。
    銀色にギラギラと光る刀に、白い裸身。すらりと刀を構えた剣心は、刃先を老人の喉元に突きつけた。
    「これが最後だ。どうか、穏便に、事を運ばせてはいただけまいか。」
    言葉は慇懃だったが、視線と声は刺すように鋭い。
    喉元に切っ先を突きつけられ、脂汗を流して固まる老人を尻目に、剣心はゆっくりと後ずさり、牢のような蔵から出て行く。我に返った左之助と青空は、慌ててその後を追った。

 

 

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