湯たんぽ

 雪が降り積もる音、というのを知っている。
 しんしんと静かに、世界を白く染めていく六角の結晶。
 雪明りでほの白く明るい庭に出る。
夕方から降りだした霰は牡丹雪に変わり、いつの間にか何もかもを真白に覆い尽くしていた。
 吐く息が白い。冷たい空気が肌を刺す。
 寒さには慣れているつもりだった。
 こどもの頃暮らした山は、冬になると雪に覆われた。霜焼けだらけの手で、震えながら毎日沢へ水を汲みに行ったものだ。そして
あの頃の京の冬も、身を切るような寒さだった。流浪れるようになってからは尚更、廃寺でろくに暖も取らずにひとり夜を明かすよう
な日々。
 冬が寒いなどと当たり前の事、それを辛いと思うことなどなかった。
 火にあたれば暖かく、屋根のある家に入れば風がしのげることはわかっていた。しかしそうするのはあくまで自分の生命に危険
が及ばないようにという本能からのもので、寒さを苦にして逃れようとしたことは一度もなかった。誰もあてにはならず、ひとり寒さを
しのぐしか方法がなかった。
 あの男に出会うまでは。
 剣心は縁側に座って、膝を抱えた。
 つい先日の事を思い出す。
 冬でも裸足でいる自分に彼は大仰に驚いて、横に座る自分のつま先を大きな手で捕まえたのだ。
『ほら、やっぱり。すげぇ冷てぇじゃねえか。霜焼けになっちまうぞ』
 そう言って嫌がる自分に構わず大きな手で足指や甲や土踏まずまでさすり、包んだ。
 なかなか温まらない足先に焦れてついに足首を掴まれ胸元に押し付けられて、そのあまりの有様に慌てて脚を引っ込めて逃れ
たのだったが。
 剣心は自分の足指を手で包んだ。
 冷たい。
 冬なのだから、当たり前のこと。
 でも人に包まれる温もりをこのつま先は知ってしまった。そして今も、あの時の暖かさを覚えている。

 左之助はその頃、雪の中道を急いでいた。
 携えていた風呂敷包みを、雪の寒さから守るように胸深く抱え込む。
 すでに人の姿はなく、こんな雪の中を出歩くような者は左之助の他にいない。
 おそらく皆早々にねぐらへ引っ込み、それぞれに寒さをしのいでいるのだろう。
 左之助も、夕刻頃にこれは積もるとふんでから酒を仕入れ、早々に布団をかぶって寝てしまうつもりだったのだ。
 あの感触を思い出すまでは。
 左之助は自分の手の中に納まっていた小さな足のことを思い出す。
 身体に似合った大きさの足は、左之助の手の中にすっぽり包みこまれていた。
 小さな形のよい貝殻を並べたような桜色のつめに、日本人には珍しいほっそりと長い足指。白い肌に薄く血管が浮き上がった
まるい甲。つるんとしたやわらかいかかとに、なだらかな曲線をえがく土踏まず。小さなくるぶし。桃色に染まったつま先。
 そしてその、やわらかく冷たい感触。
 手の中でむずむずと居心地悪げに動かされた小さな足指が妙に可愛くて、冷たく冷え切っているのがかわいそうで、思わずもっと
暖めてやろうと体温の高い胸へ細い足首を掴んで差し入れた。途端にわたわたと裾を乱して脚を引っ込め、逃げられてしまったが。
 ついいたずらが過ぎた、それだけのこと。
 本当はただ彼の足に触れてみたかったことを無意識に頭の隅に追いやって、左之助は先を急ぐ。
 雪を踏みしめる音が耳につく。
 こどもの頃は雪深い処に住んでいたから、寒さには割と強い方だ。真冬でも半纏一枚ですましている自分に見ている方が寒が
るくらいだが、今夜はさすがに身に染みた。
「・・・あいつ、今頃どうしてっかな」
 まるで自分の身体に無頓着で、どれほど寒くてもさほど気にした様子もない彼のこと、恐らく碌に暖も取らずにいることだろう。
 いっそ寒いと、冷たくてかなわぬと言ってくれた方がよっぽど気にもかからぬだろうに。
 まるで暖かくすれば楽になることさえ知らぬげにひとり震えている彼が、守ってやらねばならぬいとけない子どものように思えて左
之助は長屋を飛び出し、ひとり雪の夜道を歩き出したのだった。

「よお」
 剣心は雪の庭を眺めていた視界の中に、たった今までぼんやりと思っていた人が入り込んできたことに驚いた。
「・・・左之!?どうしたこんな夜に」
「おめぇこそ、こんな夜に庭なんかに出て何してんだ」
 傘もささずに来た左之助の肩には、すっかり雪が積もってしまっている。
「拙者は・・・少し雪見を。それよりそんな格好ではいくらおぬしでも風邪をひく。はやくおあがり」
「いや、いい。ちょっとおめぇに届けもんがあって寄っただけだからよ」
「届け物?」
 剣心は首を傾げる。こんな雪の夜に、わざわざ何かを届けてもらうような約束なぞした覚えはなかった。
「ほら」
 左之助は胸に抱えていた風呂敷包みを剣心に押し付ける。
「気をつけな。落とすと割れるぜ」
 剣心の腕に預けられたそれはずっしりと重く、そして暖かかった。
「これは・・・?」
 その場で包みを開けようとする剣心を留めて、左之助は背を向けた。
「ほら、もう寒いから部屋に戻んな。俺は帰るぜ」
「左之?せめて傘を」
「いいって。じゃあな」
 そのまま去っていってしまう背中は、あっという間に夜の闇の中に吸い込まれていってしまった。
 剣心は左之助から渡された包みを開く。
 そこには、陶器でできた湯たんぽがあった。既に湯が入れられ、剣心の指先にじんと熱を伝えてくる。
「左之・・・」
 こんな、雪の中を。
 剣心は左之助にかかえられてきたその白い陶器の湯たんぽを、胸に抱いた。
 つま先に、あの時の温もりがふっと蘇った。

「あ〜さみい。くっそ、やっぱあがらせてもらやぁよかったな・・・」
 左之助はぶるぶると頭を振って、容赦なく身に積もる雪を振り飛ばす。
 行きは途中湯屋で湯たんぽに湯を入れさせてもらい、腹に抱えていたからまだ暖かかったのだが、帰りにはそれもない。
 ただ、なんとなく。
 今夜、神谷の家に泊まりたくなかった。
 暖かい湯たんぽを抱いて、剣心は安らかに眠る事ができるだろう。
 ただなんとなく、その姿を側で見ていたくなかったのだ。
 その感情が実は嫉妬というものであることを、左之助は知らない。
 自分の与えた湯たんぽに、自分が嫉妬しているなど。
 本当は湯たんぽなどでなくて、自分自身で彼を暖めたいと思っていることなど。
 左之助には思いもよらなかった。
 いまは、まだ。
 了

 

 

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