約束の場所で  

 

 

「剣心!」
 俺はいつものように学校をさぼって、ここで寝ていた。
 ここはガキの頃からのお気に入りの場所だ。
 大きな紅梅の木の下。
 随分と立派な古木だ。もう何百年も前からここにこうしてずっと立っているに違いない。この季節になると小さな花がたくさん開いて、ほのかな香りが辺りに漂う。もうすぐ春なんだな、と思う。
 梅の花が好きだなんて、柄じゃないけど綺麗なものは綺麗だ。それにここには滅多にひとも来ないし、こうやって昼寝をするには最高の場所だった。だから今日もつまらない授業をさぼって、ここで寝ていた。今日は天気もよくて暖かいし、梅も香って最高の気分だった。そこへ突然大声が響き、腹の上に衝撃が走ったのだ。
 一瞬何が起こったのか分からず、飛び起きると腹の上にはガキが乗っていて、俺にしがみついていた。
「おいおい、一体何なんだ、いきなり」
 とにかくヤバイ奴らにいきなり襲撃されたわけじゃないことはわかってほっとしながらも、そのしがみつき方が異常なのに不審なものを感じる。
 改めてそのガキの姿を確認した。年の頃は七,八歳くらいだろうか。肩下まで伸びたストレートの黒髪。小さな頭が動いて、こっちを見上げてきた。
 驚くほど整った顔立ちをしている。彫りの深さや手足の長さから言って、多分ハーフだ。肌の色はちょっと浅黒いが、数年後にはかなりの美人になる事だろう。しかし俺はロリコンではないので、ガキに興味はない。とは言っても女の子には違いないので、俺はとりあえず腹の上からどかそうとしたのだが、しっかりしがみついていて離れない。よく見ると、驚いた事にそいつの目からは涙が溢れていて、身体中がぶるぶる震えていた。
「おい…?」
「剣心っ…!」
 くしゃっ、とそいつの綺麗な顔が歪む。ガキとはいえ、女の子の涙に男は弱い。俺は慌てた。
「さっきもその、なんだ、ケンシン、って言ってたな。いっとくけど俺の名前はケンシン、ってんじゃない、悪いけど。おいおい、泣くなって。」
「剣心、やっと逢えたっ…。俺、ずっと探してっ…」
 そいつは俺の話なんか聞いちゃいなくて、訳の分からない事を言っている。
「でも、ちゃんと覚えててくれたんだな。絶対ここで逢えるって信じてたぜ、俺。」
 俺はその子の綺麗な唇から飛び出した言葉遣いに驚いた。まるで男だ。それにちょっとイントネーションとか感じが、下町の年寄りの話し方に似てる。
「とにかくちょっと落ち着け。お前、人違いしてるんじゃないか?俺はそのケンシン、ってヤツじゃないし、お前とは初対面だぞ。」
 その言葉に、そいつは明らかに傷ついた目をした。別に俺のせいじゃないのに、俺はひどく悪いことをしたみたいな気になってしまった。
 でも、一瞬後、そいつはさっき傷ついた目をした事なんか忘れたみたいに、鮮やかに笑ったんだ。
「お前らしいなあ。でもよ、俺が保証するぜ。お前は剣心だよ、なあ剣心。」

 そいつは、名を左之助、と名乗った。どう見たって女の子なのに、男の、それもかなりレトロな感じの名前だ。もしかしてこいつは今話題の、性同一障害というやつなんじゃないだろうか。その上、ちょっとイカレてる。施設かどっかから逃げ出してきたのかもしれない。
「おい、おまえんち、どこだよ。送ってやるから。」
 面倒なヤツに絡まれちゃったなあ、と溜め息をつきながら、俺は言う。まあちょっとイカレてようが綺麗な女の子には違いない。俺は結構女の子には親切にする方なんだ。それに、こいつの身なりを見る限り、結構いいとこのお嬢様らしい。上手くしたらお礼かなんかもらえるかも、という打算もあった。
「…知らねえ。分かんねえ。」
 しかしそいつは、首を振ってそう言った。
「気が付いたらどっかの寝台で寝てたんだ。知らねぇ奴らが訳わかんねえ言葉でべらべら喋りやがって、でぇきれぇな医者まで居やがるし、腹が立ったからぶん殴って逃げ出した。そしたら驚くじゃねぇか、何なんだこの街の有様は。でも地名なんかはトウケイだしよ、とにかくあそこへ行けばおめぇに逢えるって思って…。でもよ、よく見たらてめぇはこんなガキだし、参ったぜ。悪い夢だったら早く醒めて欲しいもんだ」
 その子は自分の身体を見て、深く溜め息をついた。
 決まった。完全にイカレてる。
 一刻もはやく、このイカレたガキとおさらばすべきだ、と俺は判断した。
「そうか、そりゃ気の毒だったな。まあ、そのうち目も覚めるさ。じゃあ」
 そう言ってその場を離れようとした俺に、その子はがっしりとかじりついた。
「おい、放せって。殴るぞ」
 勿論、女の子に手を上げる趣味はない。脅しだったのだが、まったく引く様子はなかった。
「おう、やってみやがれ。なりはこんな情けねぇ有様だが、腐っても喧嘩屋斬左さまだぜ。腕っ節は俺の方が強えぇの、忘れたか」
 そう言って締め付けてくる腕と足の力(足まで絡めてきやがったのだ、この行儀の悪いお嬢様は)は確かに、女の子の、それも子供の力とは思えないくらい強い。息が詰まって、俺はとうとう根をあげた。
「わ、わかった。わかったから、もうやめてくれっ」
 結局、情けない事に俺はその子の言うなりに、自分の部屋へ連れ帰っていた。運の良いことに、俺の両親は揃ってヨーロッパ旅行へ行っていて留守だ。もし小学生のガキを連れ込んだとなれば、東京都の条例に引っかかる以前に俺の趣味を疑われる。何度も言うようだが、俺はロリコンじゃないんだ。
 とりあえず、ジュースでも出してやろうかと思ったのだが、なんとお嬢様は日本酒をご所望だ。
これが飲まずにいられるかってんだ、とわめくその子を叱りつけ、お茶で我慢させる。俺だって夜遊びして時々飲んだりはするけど、日本酒の味がわかるほど大人ではない。一体この子は何者なんだろうか。
 熱いお茶を飲んで少し落ち着いたその子は、矢継ぎばやに俺に質問しはじめた。今は何年か?ここはどこで、なんという街か?国の成り立ちや俺の名前、俺の生い立ち、生活について。段々質問は歴史的なところに至り、日本史に弱い俺は面倒になって歴史の教科書を手渡してやった。その子は、教科書の前半部分をパラパラと読み飛ばし、ある部分から熱心に読み始めた。あんまり一生懸命読んでいるので、声を掛けるのがためらわれるほどだった。
 一時間後、その子は本を閉じた。そして、少し青ざめた顔で、しばらく一人にしてくれ、と言い残してベランダへ出て行った。
 外はすっかり日が落ち、気温が下がっていた。俺は心配になり、暖めたミルクとコートを持って外へ出ていく。
「だいじょうぶか?」
 ホットミルクを受け取ると、「牛の乳か」とつぶやき、口をつけた。
「ああ、だいじょうぶだ。色々、わかった。ちょっと混乱しただけだ。ありがとな、剣心。」
 そういって、ちょっと笑った。
「だから、俺はケンシンじゃないってば」
「俺が剣心だって言ってるだろ。お前は剣心なんだよ。俺にはわかる。」

 部屋に戻ってから、その子は衝撃的な話を始めた。自分は、相楽左之助という成人男子だというのだ。その子の立てた仮説によると、彼女はその男の生まれ変わりという事らしい。何かをきっかけに、前世の記憶が蘇ったのだろうというのだ。そして更に、俺の前世は、ヒムラケンシン、という流浪人だという。あまりな展開に、俺はあいた口がふさがらなかった。キ○ガイの想像にしては、よくできたものだ。勿論、俺はそんな与太話、信じたりしなかった。だけど相手はモノホンのキ印だ。調子を合わせておかないと、またひどい目にあいそうだ、と踏んだ俺は、ふんふん、と頷いた。
「で、なんだ、左之助か。左之助は、」
「違うだろ」
 その子は、突然驚くほど強い調子で俺をさえぎった。
「そうじゃねえだろ。お前だけは、」
「何だよ、左之助だって、自分で言ったんじゃないか」
 しかしその子は何かを言おうとして、もういい、とそっぽを向いた。
 折角こっちが調子を合わせてやろうとしたのに、何なんだ。
「とにかく、そういう訳だから、しばらく世話になるぜ」
「そういう訳って、何だよ。もしかしてここに居座る気か?ふざけるのも大概にしろよ。警察に届けるからな」
「やってみやがれ。その代わり、無理矢理連れてこられて悪戯されたって言うからな。今の時代だって、ガキを無理矢理どうにかするのは外道だろ」
 そう言って、ニヤリと笑った。俺はかわいい顔に似合わない表情に思わずぞっとしてしまった。見かけはどうみても小さな女の子なのに、危うい雰囲気はその辺のチーマーやヤンキーの比ではない。負けた。とんでもないガキを拾ってしまったものだ。俺はがっくり肩を落とした。

 それから俺は、その「左之助」と色々話をした。左之助の生きていたのは、幕末から明治だという。もう、百年以上前の話だ。俺は歴史が得意じゃないし、よく分からないけれど左之助の話は恐ろしいほど筋道が通っていた。多分何かで読んだ本なんかを参考にして話を作ってるんだろうとは思ったけど、それにしてもよくできていて、普通知らないような事まで知ってて、俺はほんのちょっとだけ、信じてしまいそうな自分が怖かった。
 とにかく、この寒空の下に、中身はどうあろうと女の子をひとりでおっぽり出すのは可哀想に思えて、今日は泊めてやることにする。
 それにしても左之助の方の危機感はゼロだ。仮にも女の子が、高校生男子の家にふたりっきりで一晩泊まろうというのに、襲われたりするかもなんて、これっぽっちも考えていないらしい。
 左之助は、立ち居振る舞いもまるっきり男だ。座る時はパンツが見えようが足をおっぴろげてあぐらをかくし、歩き方もそうだ。思わずぎょっとするくらい板についている。あんまり格好良くて、参考にしたくなるくらいだ。
 左之助の男の演技があんまり完璧なんで、なんとかボロを出してやろうと思った俺は、カマをかけてみた。
 風呂を沸かし、もう入れる事を告げてこう言ってやったのだ。
 一緒に風呂に入ろうか?男同士なんだから、問題ないだろ?
 こういえばきっと、いくらなんでも恥ずかしがるだろう。父親とだって、もう一緒には入らなくなる年頃のはずだ、ましてや相手は会って間もない、若い男。
 しかし驚いた事に、左之助のヤツ、いいのか?なんて言って嬉しそうににやけてやがるのだ。
「そうと決まりゃ、善は急げだ」
 と、その場で服を脱ぎ始めるので、こっちが慌ててしまった。慌ててバスルームに押し込み、戸を閉める。扉の向こうで、おい、一緒に入るんじゃなかったのか、誘っておいてひでぇぞ、ふざけんな、とわめく声が響く。困らせるつもりが、完全に立場が逆転してしまった。ガタガタ揺れる扉を必死で押さえる。もしここで扉を開いたら、とんでもない事になる確信があった。何故か、貞操の危機、という言葉が頭に浮かぶ。どういう訳か、この場合危機に瀕しているのは左之助の貞操ではない。
 しばらくわめいていたが、やがて諦めたのか風呂に入る音がし始める。風呂の設備に驚く声が何度かあがった後、しばらくして静かになったので、もう安心、とその場を離れた。もう二度と、こういうネタで左之助をからかおうなんて間違いはおかすまい、と固く心に誓いながら、食事の準備をしていた。両親が共働きだから、ガキの頃から家事は得意だ。
 すると、左之助が風呂からあがった気配がした。
「さっぱりしたか?もうすぐ支度できるから、テレビでも見て待ってな」
 返事がないので振り返ると、左之助は俺が用意しておいたスウェットを着て、うなだれていた。俺はかなり小柄な方だけど、それでも左之助には大きい。裾と袖をだらんとたらし、くしゃくしゃの濡れ髪でうなだれる様はまるでオバケだ。
「おいおい、どうしたんだよ。何かあったか?」
「…剣心。俺、ついてねぇんだよ。」
「は…?」
「だから!俺の自慢のムスコがどっかいっちまってんだよ!ぺろん、つるっ、ってよ!!」
 突然左之助はわめいて、つかみかかってきた。
「お、落ち着け、」
「お、落ち着けだと!?これが落ち着いていられるか!つるっ、はまだいい!ぺろん、の方はどうすんだ!」
「あ、当たり前だろ。おまえ、女の子なんだからっ。」
 途端、左之助は糸が切れたようにぺたん、と座り込んだ。
「もしかして、気付いてなかったのか…?」

 無言で飯を食う左之助の様子を見ていると、あまりに哀れで可哀想になってきた。まあ同じ男として考えれば、気持ちを察するにあまりある。しかし、アイデンティティ・クライシスに瀕しながらも飯を3杯おかわりしたのは凄かった。
「ま、まあ、元気だせって。そのうち生えてくるかも…」
 ジロリ、と恐ろしい目で睨まれてぐっとつまる。左之助の目の迫力ときたら、その辺のヤーコーだって裸足で逃げ出すだろう。
「てめぇはどうなんだよ」
 突然話がこっちに振られて、俺は驚く。
「てめぇは、ちゃんとついてんのか?」
「あ、当たり前だろ」
「当たり前?じゃあ、なんで俺には当たり前でついてねぇんだよ。あ?」
「か、絡むなよ」
「納得いかねぇ!確かめさせろっ」
 突然左之助は箸と茶碗を投げ出すと、テーブルを乗り越えて襲いかかってきた。
「わっ、や、やめろっ。やめてくれっ、あっ…」
 ああ、やられちまった…。初体験もまだだっていうのに。こんな小さな女の子に思い切り握られてしまった。
 がっくりと落ち込む俺の横では、それ以上に落ち込む左之助の姿があった。
「こんなのってありか…?どうして剣心は男で、俺が女なんだよ。ガキなのならまだ我慢できる、それも悔しいけど、前と一緒だって思えば、追いつくことだって…。なのに、よりにもよってどうして俺が女なんだよ!」
 左之助は何度も床を思い切り殴った。俺は左之助の与太話なんてこれっぽっちも信じてないけど、その様子はあまりに真に迫っていて、床を殴る拳が痛そうで、俺は思わず左之助を抱きしめていた。
「左之助…」
「剣心っ…。俺、やっと逢えたって思ったのに…!」
「…いいじゃないか。逢えたんだろ?生まれ変わって、また逢えただけでも奇跡じゃねえ?」
 別に左之助の話を信じるわけじゃないけど、今の左之助にはその言葉が必要だと思ったんだ。だから、今だけ、そのケンシンってヤツのつもりになって、俺は言った。
「剣心…。」
「な?左之助。」
 すると左之助は、そうだな、って言って、ちょっと笑った。
 でも、俺が「左之助」、って呼ぶ度に、ちょっとさみしそうな目をする事に、俺は気付いていた。どうしてかな?左之助っていうのは、お前の名前なんだろ?

 俺は、ちょっと気になる事があって、左之助に訊いてみた。
 ケンシンって、一体左之助の何なんだ?
 すると左之助は、少し考えてから、友だちだ、と答えたけど、俺はちょっと変だと思った。ただの友だちにしては、左之助のケンシンへのこだわりようっていうか、執着が強すぎる気がしたんだ。でも、俺はそれ以上訊けなかった。俺がケンシンの事を訊くと、左之助はとっても辛そうに俯くからだ。まあ、俺には関係ないことだし。どうでもいいんだけどさ。

 その夜、寝る段になって、俺はちょっと迷った末に一緒の部屋で寝るか、と誘った。別に変な意味じゃなくて、(当然だ)左之助の事が少しだけ心配だったからだ。俺の方だって、妹ができたと思えば何の問題もない。
 俺がそう言うと、左之助はまた嬉しそうな顔して、ホントか?なんてはしゃいでたけど、ふと我に返って、いい、と言った。左之助がひとりで平気だというなら、俺にはこれ以上言う事はない。左之助に俺の部屋のベッドを譲ってやって、俺は両親の寝室で寝る事にした。
 その夜、俺はなかなか寝つけなかった。今日一日の怒濤の展開に、さすがに神経が高ぶっていたのだろう。でも、俺はいつの間にか左之助を気に入っている自分に気付いていた。キ印だし、中身は男だし、とにかく変だけど、なんだか一緒にいると面白い。きっと明日には、いなくなるんだろうけど。

 そして深夜。うとうとしかけた頃、すっと寝室の扉が開いた。きっと左之助だ。何の用だろう。相手は女の子なんだから、別にこっちが緊張する必要なんてまるでないんだけど、俺はなぜか速く打ちだした心臓を持て余す。
「剣心…?」
 左之助は驚くほど優しい声で、囁く。俺は寝たふりをし続けた。
「相変わらず、薄情だなあ、おめぇは。俺だけ覚えてて、おめぇは知らんぷりか?…約束したろ?しかし、参ったよなあ、こんな身体じゃあ、おめぇを抱けやしねぇ。神様ってのがいるんなら、相当根性がねじ曲がってやがるぜ」
 そして、俺の短い髪に細い指を絡めると、そっと撫でた。俺だって女の子と付き合った事くらいある。こんな風に、彼女の髪に触れたりもした。だけど左之助のその撫で方は、なんていうか、すごく、切なくて、優しくて、どう言ったらいいかわかんないけど、ぞくっとした。子供のする感じじゃなかった。髪に触られてるだけなのに、身体中愛撫されてるみたいな、でもそれがイヤじゃない俺が確かに居て、俺は混乱した。でもおかしな事に、左之助の指先は、俺の髪の長さや手触りにとまどってるようだった。そして左之助の手が離れていって、しばらくじっと俺の寝顔を食い入るように見つめた後、前髪がそっと掻き上げられ、柔らかくて小さな唇が、俺の額にそっと押し当てられて…、離れる寸前に、小さくつぶやいた。
「剣心…」
 そして、左之助は部屋から出ていった。
 あとに残された俺は、ぐちゃぐちゃに混乱した気持ちを持て余して、ますます眠れなくなってしまった。

 それでも明け方頃、ちょっとうとうとした。左之助が変な事をするから、おかげで変な夢を見た。
 時代劇の中に俺は居て、街を歩いている。すると突然後ろから目隠しをされた。俺はそれが誰だかちゃんとわかっている。苦笑しながら手を外すと、目の前には悪戯っ子のように笑う、背の高い男の姿があった。白い半纏が浅黒い肌に映える。細身なのに筋肉で割れた腹にはさらしが巻かれている。見上げると、赤い鉢巻きにツンツンとがった髪型、彫りの深い顔立ち。かなりの男前だ。獰猛に切れ上がった眦をしているくせに、ひどく優しい目をして俺をまっすぐに見ていた。そいつは俺の抱えていた荷物を軽々と取り上げると、空いている方の手で、俺の手を握った。俺は嬉しくて、でも恥ずかしくてつい手を振り払ってしまう。ひどく幸せで、あんまり幸せで、悪いことをしている気分で、居心地が悪かった。逃げ出したかった。でもそいつは俺が手を振り払っても、同じように優しく笑った。
 そこで目が覚めた。なぜか、涙が溢れていた。

 寝不足で欠伸をかみ殺しながら起きてみると、左之助も起き出していた。目の下が少し青くて、もしかしたら左之助もあまり眠れなかったのかもしれない。
 異常な事態は進行中だけど、俺は普通の高校生だ。いつもの通り支度を済ませて、学校に出掛ける事にする。
「じゃあな、左之助。俺は学校へ行くけど、お前どうする?家、帰れそうか?一緒に警察、行ってやろうか?」
「サツは昔っから苦手なんだよ。行くあてもねぇし、俺も一緒にその学校とやらへついてってやるぜ。」
「おいおい、勘弁してくれよ。昨日一晩泊めてやったろ。これ以上は無理だぜ」
「…約束、したろ。」
「俺はケンシンじゃないって、何度言えばわかんだよ。お前となんて、何も約束なんかしてない」
「おめぇは…!」
 左之助は、悲鳴のような声で言い放った。
「おめぇは剣心だよ!なんでわからねぇんだ、あんなに言ったろ。どうして忘れちまったんだよ、俺だけ…、俺だけかよっ、こんなにっ…!」
「付き合いきれるかっ…!」
 俺は胸が苦しくなって、俺の足にしがみつく小さな左之助を振り払う。俺は俺だ。ケンシンなんてヤツ、俺は知らない。左之助の澄んだ目が、俺の奥に居る誰かを真っ直ぐに見つめる目が、夢の中に出てきた男と重なって、たまらなく怖かった。自分が自分でなくなるみたいで、恐ろしかった。
「剣心!!」
 左之助はそれでも俺の背中から抱きついてきた。
「思い出してくれよ、剣心…!頼むからっ…」
「知るかっ…!」
 俺はもう一度左之助を振り払って、家を飛び出した。

 珍しく真面目に座って授業を受けているように見えるが、俺の頭は朝の混乱状態から脱していなかった。左之助のせっぱ詰まった声が、何度も俺の心を激しくつついた。俺には関係ないはずなのに、ひどい罪悪感が俺をさいなんでいた。左之助は、諦めて帰っただろうか。
 その時、廊下からけたたましい子供の泣き声が響いてきた。何事かとクラスメイトが数人窓から顔を出す。なんとかなだめようとする女性教師の声が聞こえた。
「ほら、もう泣かないで。いとこのお兄ちゃんはどのクラスなの?わかる?」
「ひっく、ひっく、わかんない…。おにいちゃあああんっ」
「まあまあ、可哀想に。悪いお兄ちゃんね、おうちでひとりっきりにして」
 もしや、この声は。
 嫌な予感がして、俺は慌てて窓から顔を出した。
 そこには、果たして、かわいらしく女性教師にすがり、泣いている左之助の姿があった。
「さ、左之助っ…!」
 思わず声を出してしまう。しまった、と口をふさいだがもう遅い。
 めざとく俺を見つけた左之助は、ニヤリ、と笑った。
 俺の頭に、「悪魔」という言葉がよぎった。殊勝にも、コイツなんかに罪悪感を抱いてしまった俺は、なんてお人好しだったのか。コイツがどういうヤツか、身にしみて分かっていたはずだったのに。
 次の瞬間には、あの悪魔の笑みはどこへやら、かわいらしい顔で俺の方を指さし、お兄ちゃんがいたあ、と言っているのを、俺はぼんやりと聞いていたのだった。

 左之助はかわいらしい行動と外見で馬鹿な教師どもを一気に味方につけ、俺は預かった子供をほったらかしにした罪でたっぷりしぼられた。左之助はといえば、涼しい顔でその様子を見ていたのだが、さすがに、
「お兄ちゃんは悪くないの、サノコ(自分の事か?)がお兄ちゃんと一緒に居たかったの、わがまま言ってごめんなさい」
 と泣き真似をして見せた時はちょっとキレかけた。こんなに小さいのに、よくお兄ちゃんの学校まで来られたわねえ、偉いわ、とこの学校で一番の美人教師に撫でられて、豊満な胸に顔をすり寄せながら、俺にだけ見えるように、またニヤリと笑った時には、コイツの正体を全世界に訴えたかったが、俺がキ印扱いを受けるだけだとなんとか押さえた。
 結局、左之助は俺の隣の席を陣取り、大人しく座ってお絵かきなんぞをしている。休み時間には左之助は女生徒のアイドルとなった。どうして誰もコイツが悪魔だって事に気付かないのか。いや、一部の男子生徒は気付いたかもしれない。左之助は、男には恐ろしく愛想が悪かった。特に、女子に左之助の世話を任せて二人で遊びに行こうぜ、と救いの手を差し伸べてくれた友達が居たのだが、彼はその直後、左之助に足を引っかけられて派手に転ばされ、鼻血を出して保健室へ運ばれていった。勿論、左之助が足をかけた現場を見ていたのは俺だけだ。女生徒に抱きつきながら、あのお兄ちゃんおけがしたの?かわいそう、としゃあしゃあとのたまい、なんていい子なの、抱きしめられていた。

 帰りは、ひとりで歩かせると危ないから、という理由でしっかりと左之助と手をつながされ、どこへも寄り道せずに真っ直ぐに家に帰る。俺は左之助に振り回されてクタクタだった。手をつないで歩く時、ふと昨日の夢の事が思い出されたが、俺は無理矢理頭から振り払った。左之助は、周りに見せつけるように腕を振って、嬉しそうだった。きっと他人には、仲のよい兄妹に見えただろう。
「なあ、こうやって手ぇつないで歩いても、これだとおめぇも恥ずかしがらねぇな。いっこだけ、このなりでいいことあった」
 久しぶりに本来の言葉遣いを聞きながら、腹が立つのを通り越してなんだかおかしくなった俺は、腹を抱えて笑った。俺の笑顔を見て、左之助も、楽しそうに笑った。

 その夜、テレビを見ていると、ニュースに左之助が出ていた。
 アナウンサーの言う事には、左之助は本当はメリッサという名前で、スペインの大使の一人娘らしい。先週日本に初めてやってきたのだが、日本についてから体調を崩し、治療を受けていた病院から突然居なくなったという。彼女はスペイン人の父親と日本人の母親とのハーフだが、日本語は全く話せないそうだ。今、彼女の捜索願が出され、警察が彼女を探している。彼女の身に何かがあれば、国際問題にも発展しかねないとあって、情報提供が呼びかけられていた。
 左之助は、そのニュースを途中で消した。
「おい、おまえ、」
「知らねぇ、あれは俺の事じゃねぇ」
 確かに、彼女の写真は左之助と似ていたが、表情がまるで違う。日本語が全く話せない、という事だし、あまり鮮明な写真ではなかったので、左之助と彼女を結びつける人は少ないだろう。しかし、ばれるのは時間の問題だった。
「俺は相楽左之助だ。おめぇも、早く思い出せ。…もう、寝る。」

 その夜も、あまり寝付けなかったが、また変な夢を見た。
 夢の中で、俺は武士なのか、刀を奮っていた。おかしな刀で、刃と峰が逆になっている。周り中敵だらけで、俺は舞うように戦う。ひとりたたき伏せる度に、敵の血反吐が飛んだ。俺は傷だらけで、痛みは鮮やかだった。でも、背中合わせに俺と一緒に戦ってくれているヤツがいる事を俺は知っていて、恐ろしい夢のはずなのに、それは悪夢ではなかった。一緒に戦うそいつは、昨日の夢に出てきたあの男で、あんまり楽しそうに嬉々として戦うから、こんな恐ろしい場面なのに、俺もなんだか楽しくなってしまう。ああ、彼が側にいてくれれば、俺はどんな時でもこんなに幸せになってしまうのだ。それが戦いの最中でさえ。それが恐ろしくもあったし、こんな戦いに彼を巻き込んでしまった事に(なぜか戦いは俺のせいであることを俺はよく知っていた)罪悪感も抱くのだった。でも、たまらなく彼が愛しくて、側にいて欲しかった。それが彼の為にならないことは、誰よりもよくわかっていたけれど。
 そんな夢だった。

 次の日の朝、俺は左之助ときちんと話をしようと、俺の部屋のドアをノックした。返事がないのでドアを開けると、左之助は俺の机に向かってなにかやっていた。
「何だ?」
「ちゃんと話、しなきゃと思って…。ニュース、見たろ。警察が突き止めるのも、時間の問題だ。俺は別にいい、やましいことなんて何もないからな。でも、みんなお前の事、探してるぜ。お前の親だって、」
「剣心…!」
 悲痛な声に、俺は口をつぐんだ。
「俺は、左之助だ。おめぇが剣心なのと、同じくらい絶対に」
「でも、お前の身体は、メリッサって子のもんだろ。お前が目覚めるまでは、身体も心もその子のもんだったんだ。俺だって、ケンシンなんかじゃない。俺は俺だ」
「馬鹿野郎…!!俺が剣心だって言ってんだっ。ずっと、ずっと探して、やっと見つけた、俺の剣心だ!約束したろ?なあ、剣心。思い出してくれよ、俺たち、ずっと一緒だって、だからずっと探してたんだ、頼むから、もう一回、俺の名前呼んでくれよっ…」
「じゃあ、じゃあお前の中で、お前に意識乗っ取られてる子はどうなるんだ!?この子を探してる、親はどうなるんだ!?どうなんだ、左之助、なんとか言ってみろっ!」
 俺がそう言い募ると、左之助は青ざめて後ずさった。
「でも…、俺は…、俺はただ剣心に…。どうしても、もう一度…」
「俺はケンシンなんかじゃないっ!!」
 俺は絶叫した。違う。夢の中の風景が、俺の方を見て笑うあの男が、溢れる感情がひたひたと押し寄せる。俺はそれを否定した。
 俺の言葉を聞いて、傷ついた左之助を見るのがたまらなく辛かった。俺は目をそらす。
「…っ!!」
 左之助はぐいっと腕で目をこすると、凄い力で俺を突き飛ばし、飛び出して行ってしまった。

 その後、どうやって学校へ行ったのか、俺は覚えていない。多分左之助は自分の親の元へ帰ったのだろう。それ以上は考えたくなかった。俺は間違っていたのだろうか?
 学校では、誰も昨日遊びに来た子と、ニュースでやっていたスペイン大使の一人娘とを結びつけて考えるヤツはいないようだった。何よりも本人が、俺をお兄ちゃん、と言ってなついていたからだろう。クラスの女子から、またあの子連れてきてね、と言われたくらいだった。
「そういえば、知ってる?あの外れの丘に立ってる、梅の木、切られちゃうんだって。結構立派な木なのにね。」
 ぼんやり昼飯を食っていた俺の耳に、ふとそんな話が飛び込んできた。
「ああ、あそこマンション建つんだっけ?それで切るんだ」
 梅の木。
 左之助が言っていた。
『ここに来れば、おめぇに逢えるって…』
 ざわざわと俺の中で、何かが訴えかける。
「おい、その、梅の木、切るのっていつだ!?」
「えっ、何よ、急に…。今日だって、ママが言ってけど…。もう少し後だったら、最後に梅の実、収穫できたのに、って言ってたから」
 左之助!
 俺は段々強くなる嫌な予感に、弾かれるように立ち上がった。昼休みが終わって、授業が始まろうとする教室から飛び出す。
「おい!どこへ行くんだ!エスケープは許さんぞ!」
「五月蠅せぇ!」
 俺は教師に一声吠えると、全速で駆けだした。
 きっと、左之助はあそこにいる。
「待ってろ、左之助!」

 やっと外れの丘へたどり着いた時、梅の木は昨日まで綺麗に咲き誇っていた枝をほとんど落とされ、丸裸にされていた。そして今、凄まじい爆音と共に太い幹に刃が入れられようとしていた。その惨状に、俺の胸はなぜか激しく痛んだ。しかし、今はそれよりも左之助だ。左之助はきっとここにいる。
「左之助!居るんだろ!出てこいっ」
 返事はない。嫌な予感が強まる。俺は更に声を張り上げ、左之助を呼んだ。しかし俺の声など、チェーンソーの音に紛れて自分にさえ聞こえない。
 その時、驚くべき事が起こった。突然、女の子が今切り倒されようとしている木に、ものすごい勢いでよじ登り始めたのだ。うまく近づいたのだろう、作業員は誰も女の子がいる事に気付かなかったようだ。何より、小さい女の子が、切り倒そうとする木に突然登り始めるなど、一体誰に予測がつくだろうか。女の子は、刃が入れられている反対の方向からよじ登り始め、太い枝にすがりついた。
 やっと女の子の存在に気付いた作業員たちは、あわてふためいて作業を中断する。しかし、チェーンソーの刃は、既に幹の半分以上にまで食い込んでいた。木が倒れるのは時間の問題だった。
「何をしているんだ!下りなさい!!」
「やめろ!この木を切るな!!」
「左之助っ…!!」
 絶叫をあげ、木に近づこうとした俺も、作業員に押しとどめられる。俺は必死に言った。
「俺はあの子の知り合いだ!あの子を止められるのは俺だけだ!俺に説得させてくれっ」
「でも、下手に近づくと危ない!あの木は、もうもたないぞ!」
「だからって、放っとけるか!お前ら、みんな下がってろ!お前らが話しかけても、あの子を興奮させるだけだ!俺とふたりだけにさせてくれ!お前らは下がって、警察にでも連絡してろ!」
 どうしてあの時、俺みたいな坊主の言葉にみんなが従ったのかわからない。ただ俺は必死だった。出会ってたった三日だけど、すごく生意気で腹の立つヤツだったけど、でも、俺は左之助に死んで欲しくなかった。
「左之助!俺だ、聞こえるか?この木はもうダメだ、諦めろ。下りてこい!」
「剣心?来てくれたのか?」
「ああ、俺だ。この木はもうダメだ、倒れるぞ。さあ、飛び降りろ、受け止めるから!」
「馬鹿野郎!この木はなあ、只の梅じゃねえ!分かんねえのか!俺たちの、たったひとつの目印だ。世界中の木が一本もなくなったって、この木だけはなくすわけにいかねえんだよ!わかるだろう、剣心!思い出せよ!約束したろ!?ここで!ふたりで!」
 その時、一瞬、映像が稲妻のように俺の脳裏を撃った。
 咲き誇る紅梅の木の下、綺麗な花のついた一枝を、俺に差し出す、背の高い男。
 俺は眩暈に襲われて、足をふらつかせた。
「思い出してくれよ! 剣心 ! 剣心 ! !」
 甲高い子供の絶叫が、聞いたこともないはずの男の声と重なる。
『剣心』
「あ…、あ…」
『剣心』
 花を差し出す彼。俺を見つめる彼。俺と背中を預けて戦う彼。俺を抱きしめる彼。様々な、ひとりの男の姿が、万華鏡のように俺の瞼の裏で回る。

『じゃあ、約束な。この木の下で、いつか、必ずまた』

「さ、さの…、左之…」
 目の前が真っ白になる。
「剣心っ…!」
 その瞬間、凄まじい爆音が響いて、木がこっちへ倒れてきた。スローモーションのように感じる一瞬、左之助は最後まで木から手を離さなかった。

 俺が気を失っていたのは一瞬だった。しかし目覚めた時、俺は起きてはいるんだけれど、別人の気分だった。俺じゃない俺、普段はずっと奥に隠れていた俺が、今前に出て、俺のポジションに居る、俺はそれをちょっと下がったところから見ている、という感じだ。
 俺は、立ち上がり、左之助の倒れているところへ駆け寄る。
「左之、左之っ…!」
 頭から血を流している左之助に、必死に呼びかける。
「…剣心か?」
 しばらくして、左之助が掠れた声で返事をした。
「左之っ…!!」
「やっとその名で呼んでくれたな。思い出したのか。遅せぇよ、バカ」
「左之こそバカでござろう、こんな無茶をしてっ…!」
「…ああ、おめぇのござる言葉、久しぶりに聞いたなあ。やっぱ、それが一番似合ってんぜ」
「バカっ…!」
「折角百年ぶりに逢ったのに、そりゃねぇだろ」
 すすり泣く俺に、左之助がゆっくりと震える手を伸ばす。
「ごめんな、剣心。この子の事だって、悪いと思ってたんだ。だけどよ、どうしても、もう一度、逢いたかったんだ」
「もう、いいからしゃべるな」
「ごめんな、俺、またおめぇのことひとりにしちまうな。俺が消えても、俺のこと、忘れないでくれよ、またいつか、何年経っても、」
 そこまで話して、左之助は咳き込み、血を吐いた。
「何年経っても、また梅の木の側で、待ってるから、必ずまた、おめぇのこと見つけるから、だから」
 涙で前が見えない。左之助の顔が、霞んでしまう。
「この木がなくなっても、だいじょうぶだ、また植えればいい。この木の子供が、きっと俺たちの目印になる。おめぇの側に飛んでくよ、飛び梅って、いうだろ?想いのあるとこなら、どこへだって飛んでいくさ。だから、」
「うん」
 俺はしゃくりあげながら頷いた。
「またな」
 左之助はいつもの笑顔で、笑った。俺も笑って、
 左之助の目が閉じるのと同時に、唇を重ねて、
 俺の目の前は、真っ暗になった。

 俺は、左之助とふたりでこの丘にいた。
 ふたりで、小さな梅の苗を買ったのだ。
 この前、ふたりで梅を見に行った時、左之助の誕生日の話になった。
「俺、このっくらいの季節に産まれたのだけはわかんだけどさ、なんせ二親とも適当な奴らだもんだから、日にちとかわかんねんだよ。ただ、梅の花が綺麗に咲く頃だって、それだけさ。ひでえだろ」
「そんなことはないよ。左之を産んでくれたんでござるもの。拙者には何より、有り難い事ことでござる」
 俺がそんな風にはっきり、彼の事を必要だと言った事は初めてで、彼は狐につままれたような顔をしていたが、途端に見ている方が恥ずかしくなるほど顔を赤らめ、破顔した。
 辺りに人気がないのを見計らって、そっと手を触れさせてくる。
「なあ、左之。梅の木を植えないか」
「梅の木?」
「ああ。梅の木は、お前の産まれた頃に咲いていた花だから、たとえ離れても梅の花が咲いたら、お前を思うだろう?だから、梅の木を植えよう。ずっと、拙者たちのことを見守ってくれるように」
「そうだな。太宰府の飛び梅だって、千年もずっと花が咲くそうじゃねぇか。菅原道真に出来て、俺たちにできねぇこたねぇ。梅を植えたら、それを俺たちの目印にしようぜ。この先何があっても、またこの木の下で必ず逢う、って」
『 約束。』
 そして、ふたりで苗を植えた。
 紅梅を選んだのは、左之助だ。色が、俺の髪に似ているから、と。

 また、いつか、この木の下で。

 次に俺が目を覚ました時、そこは病院のベッドの上だった。
 目を開けると、ぐしゃぐしゃになって泣いているオフクロとオヤジの顔が見えた。俺は、3日も寝てたらしい。
 起きてすぐ、俺が確かめたのは左之助の事だ。
 左之助は、無事だった。頭と内臓を強く打って、意識不明の重体だったらしいが、驚くほどのスピードで回復しているそうだ。
 俺は、たまたまその場に居合わせ、スペイン大使の一人娘を救ったヒーローって事になっていた。病室に、メリッサの母親が、山ほどお見舞いの品を持ってやってきた。
「あの子は、日本に来た途端に、なんだかおかしくなってしまったんです。普段は、とても物静かで大人しい子なんですよ。なのに、着いた日には、泣いて泣いて、それは大変だったんです。気分転換にと思って、梅園に梅を見に連れていったんですが、そこで急に倒れてしまって。それで病院へ連れていったら、意識が戻った途端に暴れて、突然飛び出して…。本当に、ご迷惑をおかけしました。」
 俺は、彼女の状態が落ち着き次第、会いたい旨、母親に申し出た。彼女も、命の恩人に直接会わせて礼を言わせたいから、と快諾してくれた。
 一ヶ月後、彼女と面会できる事になった。俺は、とっくに退院していた。
 そして病室を訪れた俺に、彼女は礼儀正しく頭を下げ、スペイン語で丁寧に礼を言った。彼女の母親が訳してくれた。メリッサの母親は日本人だが、彼女自身は日本語を全く話せないそうだ。これから勉強するのよね、と言われて、素直に頷いていた。メリッサは、梅園で倒れてから、病院のベッドで目覚めるまでの事を、一切覚えていなかった。
 俺には、メリッサと会う前から、なんとなく分かっていた。左之助が、もうどこにもいないことを。
 別れ際、俺はメリッサを抱きしめ、梅の花を一枝手渡した。
「またいつか、必ず逢おう」

 俺が退院して、やっと自分の部屋に戻ってきた時、俺は机の上に、何か紙が置いてあるのに気付いた。あの朝、そういえば左之助が机に向かってなにかしていたのを思い出した。
 そこにあったのは、一枚の絵だった。学校に押し掛けてきた時、授業中にえらく一生懸命描いていた絵だろう。
 そこには、稚拙だったが、咲き誇る紅梅と、その木の元で手をつなぐ、背の高い半纏姿の男と、赤い髪の小さなひとの姿があった。

 あの事があってから、俺の髪は赤くなり始めた。別に染めたりしてるわけじゃないのに、今まで黒だったから学校の教師たちからは目をつけられて面倒だけど、俺は黒く染めるつもりはない。今まで、どちらかというと固い毛質だったのが、段々猫っ毛になり、異常に伸びるのが速くなった。目の色もなんだか、青っぽくなってきた感じで、カラコンにしたのか、と最近よく言われる。
 それと、もうひとつ、あの事以来変わった事がある。
 俺の家の庭先に、梅が生えたのだ。
 園芸好きの母親は喜んで、手入れを欠かさない。
「紅梅か、白梅か、どっちかしらね」
 というので、俺は紅梅だろうと答えた。
「あら、お前、相変わらず梅が好きなのねえ。子供の頃もそうだったわ。時代劇が好きだったのか、誰も教えないのに時代劇みたいな喋り方しては、勝手に丘の梅の木のとこへ行って、みんなに探しまわらせたものよ」

 左之、お前はいま、どこにいるんだろうか。
 お前はもう居ないのに、俺の中には剣心が居て、ずっとお前を探している。今も、昔の夢ばかりみる。
 左之、今度は俺がお前を見つける番だ。だいじょうぶ、この木が枯れても、俺はまた木を植えるよ。きっとお前を見つけてみせる。
 だから、いつか、必ず。
 あの、約束の場所で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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