コスモグラフィア ファンタスティカ

 

 

 今年もまた、この季節がやってきた。
左之助は冬になっても変わらぬ一張羅を、冷たい風に靡かせながら歩く。
 師走に入って半ばを過ぎ、辺りはすっかり年越し、そして迎える正月の準備一色だ。町を行く人も急ぎ足で、慌しい雰囲気が漂う。
 喧嘩屋を生業とする彼にとっても、この時期は稼ぎ時だ。
 今年の遺恨は今年の内に、と喧嘩代行の依頼も増える。この時期は何かと揉め事も多く、やくざと関わりになりたくない大店の主人などから仲裁役を頼まれたりする。舎弟気取りで左之助を大将扱いする者どもや遊び友達は多くいても、基本的に一匹狼で曲がった事の嫌いな性分、人望も厚い彼を見込んでの依頼だ。
 左之助にとってもこの時期は、溜まったツケやら何やらで金が要る。特に年越しの準備をするわけでもないが、飲み代はいくらあっても充分という事は無い。
 喧嘩屋商売を自認する左之助にとってはいささか気に食わないが、嫌々ながらも担ぎ出され、大概はひと睨みするだけで事は収まる。そして受け取った過分の礼金で派手に遊び散らす。
 今日もそんな用で横浜まで出向いた。横浜の町は、異国の香りが強く漂っている。
 左之助が東京に根を下ろして、10年。
 涙をはらい、心に穿たれた深い傷を覆い隠す為にひたすら強さを求めた。そしてここ数年は負け知らず、喧嘩屋斬左の名は東京中の裏社会に轟き、今や左之助の敵となる者はない。猛者を探し求めて噂を頼りに出向いても、拍子抜けするような相手ばかり。
 左之助の心にはいつしか、どうしようもないほどの虚無が広がっていた。そして、覆い隠しただけの心の傷は膿み、疼く。
 そしてこの時期になると、左之助の心にかすかな引っ掛かりが沸いてくる。それは些細な事だったが、小さな棘のように左之助の心を突つくのだ。
 ぼんやりと歩いていた左之助は、人だかりを目にしてふと立ち止まる。
 見上げると、店先に左之助の背ほどもある気が据えられている。その上不思議な事に、その木にはキラキラ光る星や玉やらが山ほどつりさげられていた。
 こんな奇天烈なものは今まで見た事がない。たくさんの人が立ち止まっては眺めている。
 左之助は何となく興味を惹かれて、側で見ていた男に話しかけた。
「こいつは一体、何のまじないだ?」
「何でも、くりすますつりー、(と男は言いにくそうに顔をしかめた)とかいう飾りで、『くりすます』ってぇ毛唐の祭りにゃ欠かせないもんだそうですよ。」
「くりすます?」
 左之助は呪文のように呟く。
「ええ、切支丹の神様だかが産まれた目出度い日なんだそうで。25日だったかな?その日ですよ。まあよくわかんねぇが門松みてぇなもんですかね。しかし派手なもんだ」
 左之助は人垣を押し退けて木に近づいた。金箔や銀箔を貼りつけた星やつやつや光る玉、背中に鳥のような羽根をくっつけた人形、色とりどりの蝋燭。
 どれも、左之助が目にした事の無いものばかりだ。それは真似て作られた急ごしらえのもので、本場のものとは比ぶべくもない粗末なものだったが、初めて見る左之助には新鮮で神秘的に映った。
 その中に小さな靴下を見つけた時、左之助は雷に打たれたような衝撃を感じた。
 なぜなら、その靴下こそ、毎年左之助を悩ませる気がかりそのものに他ならなかったのである。

 初めて左之助がこの靴下を目にしたのは、赤報隊を失った冬だった。
 その頃の彼を動かしていたのは、喪失の痛みと憎しみ、そして復讐心だけだった。
 自分から仲間を、隊長を奪った奴らに復讐してやる。それだけを胸に、草を食み、泥を啜って生きていた。
 夜には、空家や家畜小屋に忍び込んで眠る。時折、心優しい者が一夜の宿を貸してくれた。しかし、次の日にはまた空の下。
 追い詰められた獣のようなギラギラした目の子供。
 誰も信用しない。誰も頼らない。心の中にあるのは、世界中への憎しみだけ。
 そんな日々が続いた、ある冬の日。
 その朝も左之助は干草に埋まりながら家畜小屋で目を覚ました。そして、自分の頭の横に置かれた、一足の大きな靴下に気付いたのだ。その頃の左之助は、靴下などどいうものさえ知らなかった。それも毛糸で編まれたものなど見たことさえない。確かに眠る前にはなかったそれを、左之助は驚きを持って見つめた。
 赤に、白の模様の入った毛糸の靴下。荒れて傷だらけの左之助の手に、今まで感じたことのないほど柔らかで優しい感触を伝えた。そしてその中には、見たことのないお菓子や食べ物、幾つかの小さな金銀の硬貨が詰まっていた。
 不審に思いながらも空腹に耐えきれず、食べ物を頬張った。どれも、生まれて初めての味だ。人型をした狐色の、サクサクした煎餅のようなもの。口の中でほろっとくずれる。濃い茶色の小さな塊は口に入れるとたちまちとろけた。甘くて頬が落ちそうだ。紙の入れ物に入ったふわふわしたものは、上に白くてとろっとしたものが乗っている。あまりの美味しさに左之助は陶然となった。こんな甘くて美味しいものがこの世にあったのか。疲れきった幼い体に、優しい糖分が沁みわたるようだった。ふと、左之助は親友の克浩や両親、そして妹にもこれを食べさせてやりたいと思った。きっと皆、こんなもの見たこともないはずだ。隊長だってないだろう。
そう、隊長はその為に、みんなが平等に幸せになる為に、誰も飢えたりしなくて、こんな美味しいものだって皆で食べて笑って暮らせる世の中にする為に。その為に戦ったのに。
「畜生!ちくしょおっ・・・!!」
 血を吐くような思いで左之助は靴下を掴んだ。
 その手に、固い何かが触れた。まだ何か入っているのか。
 手を入れてみる。靴下の中から取り出されたのは、小さな箱だった。左之助の掌に丁度ほどの、赤い箱。緑色のりぼんがきれいに巻かれている。左之助は震える手でそっと開いた。
 中には、何も入っていなかった。

 それから毎年師走の冬の朝、左之助の枕元には靴下が置かれた。初めの1、2年は偶然かと思った。でもそれが3年、4年と続くにしたがって偶然は必然へと変わった。左之助がどこにいても、それは必ず届けられた。さすがに気味が悪くもあったが、悪意は感じられなかった。ただ、一体誰が?その答えは出なかった。思い当たる相手もない。寝ている間に置いて行ってしまうから、一度も見たことがなかったのだ。何度か寝たふりをして見届けようとしたが、その時に限って泥のように眠ってしまい叶わなかった。左之助はその日が何日なのか、はっきりとは覚えていなかったけれど、左之助は師走に入ると何となく待ち遠しいような気がして落ちつかないのだった。
 中身は毎年変わった。しかし必ず入っているものがあった、それは。
 中身が空の、赤い箱。
 左之助はなぜかそれを捨てられず、もうすでに10枚の靴下と空箱が行李の中に仕舞われていた。
 同じようにお菓子や箱が詰まった靴下。それが、西洋の祭りの飾りの中にある。
 左之助自身も、そして勿論周りにも、切支丹を信奉する者はいない。なのに、この靴下は切支丹と関係があるらしい。
 左之助はただ呆然と立ち尽くしていた。
 クリスマスイヴまで、あと数日。

 そしてとうとう、その日がやってきた。
その日は、いちにちひどく冷えた。皆、早く暖かい我が家へ帰ろうと急ぎ足だ。
 左之助はその夜も仲間と飲み歩いていた。しかしそのまま女郎屋へ雪崩れ込もうと誘う悪友たちに手を振って別れ、ひとり帰途につく。
 鼻先に、冷たい綿毛がふわりと落ちた。
「雪、か…」
 あっという間に、舞い落ちる雪で視界が覆われる。左之助の体に降った雪はあっという間に溶けて消えた。
「このぶんだと積もるかもしれないねぇ」
 すれ違った男が、震えながら言った。
 なんとか積もる前に帰りついた左之助は、酒を燗して体を温めると、すぐに横になったのだった。

 そして、真夜中。
 どこからともなく、鈴の音が響いてきた。
狭い長屋のかまどの上、換気の為の窓が、そっと音もなく開く。降りしきる雪が、はらはらと迷い込む。そこから、赤い何かが中を覗きこんだ。左之助が良く眠っていることを確かめる。そして、金の光の粒ががきらきらと舞ったかと思うと、どうやってかそれは長屋の中へと入っていた。
 そして、そっと左之助の側へと近づく。
 よく眠っている。左之助の寝顔をみてくすっと笑った。そして左之助の枕元へ、大きな毛糸の靴下を置いた。
 そして名残惜しげにそっと、左之助の頬を撫でた。
 その途端。
 熟睡しているように見えた左之助が、突然その手を掴んだのだ。
 その何者かは驚いて小さな悲鳴を上げた。慌てて手を取り戻そうとする。しかし、左之助はしっかり握っていて離さない。
「誰だ、てめぇ、」
 暗闇の中では全く見えない。暴れるその人の腕をねじり上げる。苦痛の声が上がった。握った手首の感触は、まるで女のように細い。しかし、骨格はしっかりしている。左之助は腕をしっかり掴みながら、行灯に火をつけた。
 そして光のもとに浮かび上がったそのひとを見た時、左之助は驚きを隠せなかった。
 真っ赤な洋服。それも、裾がひどく短い。足が膝まで丸出しだ。その頃の風俗からしたら、ひどくはしたないと言っていい。そしてその裾は白いふわふわした毛で縁取られている。襟元や袖にも毛がついていて、暖かそうだ。そして首には白いボンボンがついている。頭には、同じ赤い帽子。形が尖っていて、くたっと垂らしている。先にもボンボンがついている。そして足には黒いハーフブーツ。なんとも奇妙な格好だ。
 そしてそのひと自体も変わっていた。夕日のような赤い髪。青みがかった大きな瞳。透き通るような白い肌。異人かと思ったが、顔つきは日本人のように思える。最初は少女かと思ったが、年齢も性別もはっきりしない。ただ、ひどくかわいらしかった。屈強な大男だとは思っていなかったが、こんなにかわいらしいひとだとも思ってみなかった。
「あんた、一体どこの誰だい」
 そのひとはなんとか左之助の手から逃れようとしたが叶わない事を悟ると、怯えた色を湛えて左之助を見ている。大きな瞳には不安と恐れが渦巻き、ゆらゆらと揺れていた。
「離して」
 そのひとは、鈴が鳴るような幽かな声で訴えた。
「あ、ああ」
 左之助は思わず力を込めすぎていた手に気づいて緩めた。それでも手は離さない。
「逃げないって約束するか?」
 そのひとはこくりと頷いた。
 やっと腕を解放される。その人は赤く痣になった手首を摩った。
 左之助は、何かいたいけなものを傷つけたような気がして慌てた。
「すまねぇ、あんたを傷つけるつもりじゃなかった」
「いい、大丈夫だ」
 声は少し高めで、声変わりする前の少年のようだった。口調も全く男のもので、外見とのギャップに左之助は少々混乱した。
 その上、侵入者の姿を確認した事で、新たな問題が出現した。つまり、この人は明らかに左之助より年下に見えるという事だ。この贈り物が始まった10年前、一体こいつはいくつだ?ほんのガキのはずだ。そんな子供が、なぜ?
 大体、左之助がどう首をひねってもこの人に見覚えはなかった。これほど目立つ顔立ちだ、一度会ったら忘れるはずがない。
「お前、一体なにもんなんだ。なんで、俺んとこに来た」
 その人はしばらくの逡巡の後、諦めたように息をついた。きちんとした答えを得るまで、左之助は許さないだろう。
「拙者、サンタでござる。」
「さんた?」
 訳がわからずただ繰り返す左之助に頷く。
「そう、ノエルの前の晩に贈り物を届ける仕事を父上から賜った。13代目のサンタ・クロースでござる」
 ノエル?サンタ?何を言っているのかさっぱりわからない。
「サンタは全てのよき子羊に、父の子イエスのお産まれになった日を祝うため、贈り物を届けるのが仕事でござる。」
「くり、くりなんとかってぇ日の事か?」
「そう。よく知ってるでござるな。クリスマスでござるよ。」
「でも、でも俺は切支丹じゃねえ。いえすだかなんだか知らねぇがそんな奴の誕生日なんて、俺には関係ねぇぞ」
「でも、お主の名はちゃんと、拙者のリストに載ってござる。相楽殿から直々にうけたまわった。」
「たい、隊長が・・・?隊長に、隊長に会ったのか?!」
 左之助は思っても見なかった名が出て驚愕した。
「相楽殿は、天国に迎えられた。正しい御心をお持ちでござったから。ただ、お主たち子らの事を気に病んでおられて、拙者に託されたのだ。毎年お主たちに贈り物を届けて欲しいと。」
 左之助は呆然とサンタの言葉を聞いた。
「相楽殿は今も、お主らを愛してござるよ。」
 もしかしたら全て、趣味の悪い作り話かもしれない。それでも。
 隊長は死んだけど、天国で幸せに暮らしている。そして、俺の事を見ていてくれている。
 それは、無残な死に様を目の当たりにした左之助にとって大きな救いだった。
「ほんとか?ほんとに・・・」
「本当でござる。」
 とうとう左之助は我慢できず、膝を折って子供のように泣き出した。板敷きの床に、ぽたぽたと雫が落ちた。
10年前、隊長の首を前にした時より後、ずっと泣いた事などなかったのに。
 サンタは泣き続ける左之助の頭を優しく撫でた。
「左之は、ずっとよい子でござったよ。」
 そしてポケットから柊の刺繍が入ったガーゼのハンカチを出すと涙を拭いてやった。
 どう見ても年下の、小娘のような妙な奴だけど、なんとなく懐かしいような、そんな気がして左之助はそれを拒まなかった。子供のようにそのひとに甘える事を自分に許した。それは、母親と別れてから初めての事だった。
 サンタは左之助が泣き止むまでそうしてくれていた。決して左之助の有様を笑ったり慰めようとせず、産まれたままの赤子のように泣き続ける左之助をただ抱き締め、膝を涙で濡らすままにさせた。
 ようやく左之助が泣き止んで、ちょっと照れたように笑う。応えるように、サンタも優しく微笑んだ。
 息がかかるほど側でその笑顔を見た左之助は、泣いたせいでなくちょっと頬に血が昇るのを感じた。慌てて体を離す。
「なあ、あんたがずっと、あれ、届けてくれてたのか?全部?」
「ああ、そうでござるよ。言ったでござろ、拙者は人ではござらぬ。お主がまだこんなに小さい時から、ずっと知ってござるよ。でもまさか、お主が起きてるとは思わなかった。失敗したでござる。」
「みつかっちゃ、ヤバイのか?」
「普通、我ら父の使いは人には見えぬ。左之は特別な目を持っているようでござるな。サンタは子供たちが寝ている間に贈り物を届けるのが仕事でござるから。寝たふりをしてサンタを捕まえようなど、全く悪い子でござる。もう来年からは来ないでござるかな」
 そう言って、サンタは悪戯っぽく笑った。
「さあ、もう行かねば。夜が明けてしまう」
「もう、か?」
「ああ。拙者が下界に降りていられるのは、今日一日だけ。夜が明ければ、天国の扉が閉まってしまう」
 そう言われてしまうと左之助にはもう彼を引きとめておくことができない。
「大丈夫か?まだ届け物が残ってんじゃねぇのか?」
「いいや、左之が最後でござるよ。お楽しみは、後にとっとく方でござるから。」
 左之助がその言葉の意味を問いただす前に、サンタは立ちあがった。
「じゃあな、左之。」
「ま、待てよ!」
 左之助は慌ててサンタの肩を掴んだ。
「来年、また来るだろ?な?」
「そうでござるな。来年も左之がいい子でござったら、な。」
 そしてにっこり微笑むと、くるくるっと回って、彼の体の周りに金色の光の粒が弾けたと思うとー・・、
 サンタは消えていた。
 呆然と立ち尽くす左之助の耳に、シャンシャン、という鈴の音が届いた。慌てて部屋を飛び出す。
 闇の中、積もった雪が白くぼうっと浮きあがって見える。また、シャンシャン、という音につられて空を見上げた左之助の目に映ったのは。
 4頭の、大きな角に鈴をつけた獣(妙な事に鼻が光っていた)と、美しい装飾の施された金の橇、そしてその上に乗っているのは、あの赤い髪に赤い服、赤いトンガリ帽子のそう、サンタ・クロース。
 驚きに声も出ない左之助の上空を、サンタは一度ぐるっと回ってみせると手綱を操って金の粉を撒き散らしながらどんどん空へと昇り始めた。不思議な事に、彼らの上は雪も避けて降っている。
やっと我に返った左之助は、必死で手を振りながら叫んだ。
「来年も、絶対来いよ、待ってるからな!」
 その間にも橇はどんどん上昇し、鈴の音も遠ざかっていく。
 左之助の声が届いたかどうかはわからないけれど。一瞬、サンタがにこっと笑ったような、気がした。
 そしてやがて何も見えなくなり、暗闇が全てを覆っても、左之助はただ空を見つめて立ちつくしていた。

 そして、左之助は見事に風邪をひいた。
 左之助が風邪をひいたと聞きつけて、年末の忙しさもそっちのけで馴染みの女たちが交代で(喧嘩にならぬよう皆でくじ引きをして看病する日を決めたらしい。)世話をしてくれた。しかし左之助ときたらひどい熱なのに毛糸の靴下を眺めてばかりいるので女たちは皆訝しがった。
 確かに、風邪をひいてから左之助は変わった。
 以前の、爆発寸前の炸裂弾のような危うさや、投げやりな所が影を潜め、丸くなった。
 そして、年が明けるときっぱりと喧嘩屋を廃業したのだ。何の前触れもなく突然の事だったので様々な噂や憶測が飛んだが、本人はただ、「いい子にしてねぇとな。」と笑うばかりだった。「他にやりたい事、できたしよ。」
 そして、横浜に通って切支丹の宣教師を捉まえてはクリスマスについて知りたがった。
 全く、妙だった。

 そうして、1年の月日が流れた。
 今夜は、クリスマスイヴ。
 左之助は、小さなクリスマスツリーをこしらえて部屋の前に置いた。
 そして深夜。
 どこからか、シャンシャンという鈴の音が近づいてくる。そして鈴の音が止むとすぐ、窓から赤い帽子がのぞいた。昨年と同じように、金の光が渦巻いてー・・、
 部屋の中に、サンタが立っていた。
「サンタ・・!」
 左之助が呼びかける。
「また、起きて待ってたでござるな。悪い子でござる。」
 サンタは去年と全く変わらぬ笑みを向けた。
「でも、クリスマスツリー、飾って待っててくれたのでござるな。ありがとう。メリークリスマス、左之。プレゼントでござるよ」
 そう言って、大きな靴下を差し出した。
 左之助は手を伸ばして、ー・・しかし靴下を素通りして・・ー、
 サンタの手首を、掴んだ。
「ありがとな、サンタ。きっちり受け取ったぜ」
「さ、さの・・?」
 驚いて見開かれた大きな瞳を、じっと見つめる。
「もう、靴下はいらねぇ。俺はもう、ガキじゃねぇんだ」
「拙者はクリスマスプレゼントではないでござるよ。サンタは配るのが仕事でござる。」
 サンタは幼い子供を諭すように、笑いながら言った。
「でも、俺が欲しいのは、お前だ。」
 冗談にしてしまおうとするサンタを、左之助の静かな、しかし真剣な声と目がさえぎった。
「お前なんだ。」
 その目は、サンタが知っている、無邪気な子供の目ではなかった。まっすぐに、思いを伝えようとする男の目。
 サンタはまるで狼に睨まれた兎になった気がした。逃げなくては、と思うのに、体が痺れたようになって動けないのだ。
 そう、サンタが初めて左之助を知った時、左之助はほんの小さな子供だった。深く心を傷つけ、絶望と呪詛ばかりが心を占めているのにそれでもその奥には、太陽のように美しい魂があった。それは思わず惹きつけられるほどの鮮烈な、魂の光。
 この子には優しい愛情が必要だ、とサンタは思った。このままでは、この子の魂が汚れてしまう。しかし、彼のまわりには彼に愛情を注いでくれる相手がひとりもいなかった。彼自身が針鼠のように心を尖らせて誰も近づけようとしなかったのだ。
 そこでサンタは、ひとつの禁を犯した。
 それは、左之助に特別な贈り物をする事だった。
 サンタは全ての子供に平等でなければならない。それぞれの贈り物は全て子供にとって特別なものだったが、サンタにとってはどれも同じ意味、同じ重さだった。誰かだけ特別扱いする事は許されない。
 しかしサンタは、左之助だけに特別のプレゼントを贈った。
 そう、あの、緑のリボンをつけた、赤い箱。
 中身は空に見える、勿論だ、中にあるものは目には見えないもの。でも、とても特別なもの。
 サンタが左之助に贈ったもの、それは愛情だった。
 左之助の事を気に掛け、左之助の事をいつも想っているひとがいるのだと。サンタは木に水をやるように、左之助に愛情を注いだのだった。
 そして毎年、サンタは左之助の成長を楽しみに見守ってきた。まっすぐな心根を失わずに左之助が育った事を心から喜んだ。どんどん大きくなる左之助をいとおしく思いながら、ほんの少しの寂しさが年々膨らんで行くのを堪えて。なぜなら・・・。
「左之、わがままを言ってはならぬよ。拙者、また来年も来るでござるから・・・」
 目を逸らして言うサンタに、左之は静かに否定した。
「嘘だな。」
 そう、嘘だった。
「俺、知ってるんだぜ。サンタが来るのは子供のところだけだ。来年にはもう、来ないつもりだろ。」
 そう、本当なら、もうずっと以前におしまいのはずだった。でも、左之助の心がまだ未熟な事を理由に、無理に引き伸ばしてきたのだ。でも、もう限界だった。今年一年の左之助の成長ぶりは著しかったし、それはサンタにとって嬉しい事だったけれど、もうこれ以上は。
 左之助に逢えるのも、今年で最後。
 サンタはそう心に刻んで今日、やってきたのだ。
 サンタは目を伏せた。目蓋がじんと熱くなる。
「なあ、サンタ。俺、決めたんだ。」
 左之助は宣言した。
「俺も、サンタになる。」
 サンタは、わが耳を疑った。左之助は今、何と言った?
「サンタになりたいんだ。俺、嬉しかったよ、おめぇから贈り物貰って。あの靴下貰うとなんでか、すげぇ幸せな気持ちになった。多分、あれ貰ってなかったら俺、今ごろ死んでたよ。だから俺みてぇな子供に、俺も配ってやりてぇんだ。頼む。やらせてくれ。」
「左之、バカな冗談はよせ」
 サンタは混乱して半ば叫んだ。
「冗談じゃねえ。本気だ。一緒にやらせてくれ。」
「左之、左之は自分が言っている事の意味がわかってない。言ったでござろう、拙者は人ではないと。サンタになるなら、この世にはいられないのだぞ!?」
「それも承知の上だ。俺、お前と一緒にサンタになりたい。お前と一緒に橇に乗って、贈り物配るんだ。」
 激しく暴れるサンタの肩を掴んで言い聞かせる。
「俺、よく考えたんだ。んで、もう決めた。おめぇが俺をサンタにしねぇってんなら、俺はお前を帰さない。夜が明けても、離さねぇぜ。絶対離さねぇ。地獄に落ちようが、天国から追放されようが、離すもんか。」
 左之助は激しく目の前の体を抱き締めた。絶対、離さない。
 苦しいほど強く左之助の腕の中に閉じ込められながら、サンタは恍惚と痛みを同時に感じていた。
 あんなに小さかった左之助が今、こんなにも大きく成長して、自分を抱き締めている。彼も、左之助が愛しかった。ずっと見てきた。そう、本当はずっと焦がれていたのだ。左之助に。
 きっと、ずっと前から。
 長い逡巡の時。夜明けは刻々と近づいている。
 くすっ、とサンタが笑った。
「なあ、左之。拙者たち父の使いは皆、ふたつの使命を持っているのでござるよ。ひとつは、誕生の祝福、そしてもうひとつが・・・、死の祝福でござる。」
「死の、祝福?」
 サンタはこくりと頷いた。
「人にとっては、死は忌むべきものらしいが、本当は新しい始まりに過ぎぬ。その事を人が知れば、それほど恐れる事もなくなるのだろうがな。産まれる事と死ぬ事は同じなのだ。だから、どちらも同じに我々天使は祝福を与える。」
 サンタは顔を上げて、左之助の目をまっすぐに見た。
「左之、もう一度聞く。サンタになるという事が、我らの眷族になるという事がどういう意味か、分かっているか?」
「ああ。分かってる。」
「それでも、なりたいのか?」
「ああ。俺は、お前と一緒に、サンタになりたい。」
 左之助の目は真剣に、ただ自分だけを見ている。
「では、左之。お主に祝福を与えよう。」
 左之助は、サンタの背に手を回したまま、目を閉じた。
 細くて小さな体、抱き締めると胸が締め付けられる。どうしてこんなに愛しいのかわからないけれど、ずっと前から彼を探していたような気がする。ひどく、懐かしかった。
 細い腕が伸びて、頭が引き寄せられる。ゆっくりと、近づく気配。
 そして、暖かくて柔らかい感触が、唇に触れた。
 左之助の脳裏が一瞬で金色に染まる。悦びが体中に溢れて、そのまま左之助の意識は宙へと飛んだ。

 そして12月25日、クリスマス。
 左之助は、彼の長屋で冷たくなっているところを発見された。突然の死に周囲の者はとても驚き、嘆き悲しんだ。不思議な事に死因がまるでわからなかったが、とても安らかで幸せそうな死に顔だったのが救いだと皆言い合った。
 「左之さん、亡くなる日の昼間、もう会えなくなる、って言いに来たの。私、そりゃ左之さんの事好きだったし、もう会えないなんて酷いじゃない。私、別れ話かと思って怒って追い返しちゃったの。・・本当に、もう会えなくなっちゃった。」
 葬儀の後、左之助と親しかった者がたくさん集まり思い出話をしていた時、馴染みの女のひとりがそう言って泣き出した。
「あんたんとこへも行ったの?嘘みたい、私のとこへも来たわよ。」
 驚いた事に、左之助と親しかった者の殆どが、当日左之助から別れの挨拶を受けていた。皆、その時はちょっと旅行へ行くのかとばかり思っていたのだったが。
「もしかしたら左之さん知ってたのかな、自分が死ぬ事・・・」
 誰かがぽつりと言った。
「でもさ、左之さん変な事言わなかった?」
「言ってた言ってた。早く子供作れよ、って。そしたら、贈り物届けてやるから、って。どういう意味かしら?」
 皆、首を捻ったが結局、誰にも意味はわからなかった。
 ただひとり、夜が明ける直前に、左之助の姿を見たような気がする男がいた。夜明け前にふと目を覚ました彼は、窓から不思議なものを見たのだ。奇妙な獣にひかれる、金の空飛ぶ橇。その橇には、赤い髪に赤い服を着た少女と、幼馴染みの左之助が乗っていたような気が、する。
「おい、克!俺、サンタになるぜ!見習だけどな。てめぇにはもう配ってやれねぇが、てめぇのガキには来てやるよ!じゃあな!」
 しかしあれは、きっと、夢だ。夢を見ていたに違いない。
 そう思って彼は、ひとり胸に仕舞って誰にもその事は話さなかった。

 そして、2000回目のクリスマス。
 地球の裏側で、チョコレート色のきれいな肌と、くりくりっとした目のかわいい女の子が、熱心に絵を書いていた。
「何の絵を描いているの?」
 先生が尋ねると女の子は、
「サンタさんの絵よ。昨日私、サンタさんを見たの。」
 先生は微笑ましくなって、(きっとボランティアの学生がサンタに仮装したのだろう)どれどれ、と言って絵をのぞきこんだ。そこには、橇に乗って空を駆けるサンタの絵が大方出来あがっている。
「とっても上手じゃない。」
「うん、私、絵を描くのが大好き。」
 しかしひとつ気になるところがある。
「でも、サンタさん、2人いるわよ。」
 女の子はこっくりと頷いた。
「昨日の夜、おうちに来たサンタさんたち。」
 家にまで、学生たちがお祝いに行ったのだろうか?」
「私、昨日寝たふりをしてサンタさんを待ってたの。そしたら、夜遅くになってやって来たのよ。皆、サンタさんは太ってあごひげの生えたおじいさんだって言うけど、全然違ってたわ。サンタさんは2人いて、ひとりは背の高いお兄さん、もうひとりは小さいおねえさんだった。おねえさんがプレゼントを靴下に入れてくれたの。お兄さんは頭を撫でてくれたわ。サンタさんたち、とっても仲良しで、顔を見合わせてにこにこ笑ってた。私、じっとしてたの。そしたらいつのまにか橇に乗ってお空を飛んでた。窓から見えたわ。鼻の光るトナカイが、金の橇をひいてた。お空を飛びながらサンタさんたち、キスしてたの。」
 女の子はちょっとおませな風にうなずいた。
「来年もきたら、私言ってあげるわ、お幸せに、って。」
 そう言って女の子は、金のクレヨンで橇を塗り始めた。
 先生はふと気付いて、女の子が使っているクレヨンを見た。それは50色入りのとても立派なものだった。まだ、殆ど新品に近い。
「ねえ、このクレヨンどうしたの?」
「これが、サンタさんのクリスマスプレゼントだったの。私、いろんな色のクレヨンが欲しかったから、とってもうれしい。今まで使ってたクレヨンじゃ描けなかったもの、いっぱい描けるわ。」
 先生は女の子にクレヨンを見せてもらった。とてもよいものだが、不思議な事にどこのメーカーのものでもないようだ。
 きっと誰かにもらったんだろう、先生はそう思って、
「よかったわね。大事に使いなさい。」
 と言った。この子はきっと、夢を見たのだろう。子供らしい、無邪気な夢。そういえば私も、子供の頃はサンタさんを信じてたな、と先生は微笑んだ。
 それとも、もしかしてサンタは本当にいるのだろうか?
 先生は女の子の絵をもう一度見た。
 なんとなく、この2人に見覚えがあるような・・・・。
 その瞬間、金の粒がきらきらっと舞って、絵の中の2人がウインクした。
 先生は驚いてー・・、それでもクリスマスだからそんな事もあるのだ、と思った。
 そう、今日は何といってもクリスマスなのだから。
「来年もまた、サンタさんたちが来るといいわね。」
 そう言って先生と女の子は、顔を見合わせてにっこり笑って言った。
『メリークリスマス!』

 

 

 

 

 

 

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