助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)

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 左之助が初めて歌舞伎を見たのは、八つの時だ。
 父の仕事について家族で江戸に旅した際、土産話に江戸の三座で芝居見物でもしようという事になり、中村座に連れて行かれたのが最初だった。
 江戸の時分、いざ芝居見物をするとなると、それは一日がかりとなる。
 歌舞伎の興行は、明け六つ(午前六時)に始まり、「暮れ七つ半」(午後五時)に打ち出しとなる。夜は行われない。通して見ると十一時間も楽しめる事になる。しかしかかる費用も安くはなく、一番安い土間でも一人当たり二万円近くかかった。
 しかしなんといっても歌舞伎見物は、庶民にとって最大の楽しみであり、ハレの日でもあった。女たちはその日の為に髪を結い、着物を新調する。当日は夜も明けきらぬうちから支度して、前夜は楽しみで眠れぬほどであったという。彼らにとって歌舞伎役者とはまさにスターであり、アイドルであった。
 その最大の娯楽である歌舞伎も、幼い左之助にとっては早朝から連れ出された眠気が先に立ち、うとうとと船を漕いでいた。しかしこの時、何故か彼は突然目を覚ました。
 演目は、「籠鶴瓶花街酔醒」(かごつるべさとのえいざめ)。人は良いがあばた面で野暮な田舎商人、佐野次郎左右衛門は、立花屋抱えの遊女・八ツ橋の花魁道中を見て一目惚れし、それまで縁のなかった吉原へと足を踏み入れる事になる。恋しい八ツ橋と念願の馴染みになれ、彼女もまんざらでもない様子に次郎左右衛門は幸福の絶頂だ。顔は醜いが心は優しく、金離れのよい彼は立花屋の主人から八ツ橋の身請けを持ちかけられるが、しかし実は八ツ橋には繁山栄之丞という美男のヒモがついていたのだった。様々な人間の欲や思惑が絡み合い、八ツ橋は不本意ながら公衆の面前で次郎左右衛門を手酷く振ってしまう。そして物語は悲劇へと集約していく。
 舞台上では金糸で縁取られた菖蒲の俎板帯を前に垂らして豪奢に着飾った絶世の花魁、八ツ橋が道中の真っ最中だ。八ツ橋役の女形はまだ幼かった。左之助といくつも変わらないように見えた。しかし幼い姿とは裏腹に、その表情には触れれば斬れるような凄みと色気が溢れていた。
 男衆に振新番新禿を従え、八文字をきって歩むその子が振り返り、綺麗に紅のひかれた唇を歪ませ、呆然と見惚れる男に向かって、にいっ、と笑った。それは、人の良い朴訥な田舎商人であった男を地獄へと叩き込み、彼女自身でさえも死に至らしめる微笑である。
 一瞬、左之助とその女形との目があった。
 左之助にはその笑みが自分に向けられたように感じた。劇場中が、水を打ったように静まり返った。
 左之助はその後固まったようになって、一言も口をきかなかったそうだ。その事はあまり覚えていない。ただ、あの女形の笑みを覚えている。
 その後しばらくして火事で家族を失った。売られていった先から出奔したのは五年後のことだった。そして、次に歌舞伎を見たのも。
 その頃左之助はよく、遠くは江戸へ向かう道を伸び上がって眺めた。櫓が見えるのではないかと思ったのだ。
 櫓は、三座にのみ許された幕府公認の芝居小屋の証だ。五本の鑓が並んだ櫓は、左之助にとってあの女形の居場所を示す狼煙のようなものだった。
 あの女形の笑みが、頭を離れなかった。とにかくもう一度姿がみたくて、気づけば奉公先を飛び出していた。
 八ツ橋役だった女形は、立女形になっていた。やっと辿りついた櫓の周りには、彼の名前の入った贔屓からの幟がいくつもいくつもはためいていた。
 『緋村 剣心丈江』
 潜り込んで見たのは舞踊だった。「京鹿子娘道成寺」。
 道成寺での鐘供養に白拍子の姿をした清姫の亡霊が現れ、踊るうちに蛇体となるが、最後には鐘に封じられる、という物語仕立てになっている。女形にとっては最高の見せ場にして、難易度の高い舞踊である。枝垂桜が大胆に刺繍された豪華な衣装は、場面ごとに地色が何度も変わった。
 あの時見た魔性の遊女とは別人のようだった。無垢な娘の姿の内に恋の狂乱を隠して可憐に舞う姿は左之助の視線を釘付けにした。これほど美しい女に、こんなにも強く求められて男が逃げたのは、恐らく畏怖の為であろうと子供心に左之助は感じていた。
「花の外には松ばかり 花の外には松ばかり 暮れ染めて鐘や響くらん 鐘に恨みは数々ござる・・・」
 途中で見つかって木戸番につまみ出された。首根っこを掴まれたまま、役者にさせてくれ、と叫んで土下座した。何発か食らった後、散々に笑われた。
 役者となるのは、大体が舞台関係者の子供かそのつてがある者だ。まずしかるべき者に仲介を頼んで役者に弟子入りし、何年も修行を積まねばならない。木戸番に頼んでなれるものではないと一蹴された。ならばと左之助は当代団十郎の屋敷を探し出し、弟子入りさせてくれ、と手をついた。どこの馬の骨とも知れぬ左之助など相手にされるはずもなく、当然団十郎にも合わせてもらえるわけもない。どこぞへ散れと何度も殴られた。しかし左之助は諦めず、飲まず食わずで門前に座り込んで十日、見かねた名題上役者に拾われた。
 始めは最下級の下立役、エキストラのような役をこなす通称『稲荷町』になった。役者といっても、稲荷町は楽屋の雑用が主な仕事だ。梨園の御曹司以外は全て、そこからのスタートとなる。そしてひとつずつ階級があがっていくわけだが、それは到底容易な事ではなかった。姿が美しく芸に優れていても、名題にさえなれずに終わる者がほとんどという厳しい世界だ。門閥外の出身で自分の力だけで出世を勝ち得た役者は、長い江戸歌舞伎の歴史の中でも数人しかいなかった。
 左之助の望みはひとつ。あの女形と同じ舞台にあがりたい、それだけだった。
 彼の側に近づきたいだけなら、彼の付き人にでもなった方がよかっただろうが、左之助はただ彼に近づくことより、立役になって相手役を勤めたかった。まだ左之助にとってあの女形は舞台の上だけに存在する者であった。



























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