助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)

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 そして、数年の月日が流れるように過ぎた。
 剣心は役者評判記という役者番付で大上々吉、という最高評価を受け、名実ともに大立者となった。しかしその姿は十数年前と少しも変わらないので、剣心丈さては人魚を食らったか、という狂歌が詠まれたりした。
 左之助は、そのほとんどが粋筋の女性たちばかりだったが贔屓にしてくれる客も出来、最下級の下立役からひとつ上がった中通りという身分に上がっていた。といっても稲荷町はエキストラのようなものだから、やっと役者としてのスタートラインに立てたという事である。稲荷町と違って衣装を自分で用意しなければならない為生活は苦しかったが、贔屓連中や友人たちのお陰で食うに困ることはなかった。
 そんな中、顔見世興行で「助六由縁江戸桜」がうたれる事になった。
 歌舞伎の興行は十一月が一年の始まりとされている。役者は一年単位で座と契約をするため顔見世はこれからの一年この顔ぶれで参ります、という披露目の意味をもつ重要な興行であった。
 劇場の正面には役者の紋と名前を記した看板が掲げられ、江戸中が活気づく。特に「助六」は市川家十八番のひとつであり、中でも人気の高い演目だった。
 花川戸の助六は毎日吉原で刀を持つ者に喧嘩を売っては刀を抜かせていた。彼は実は曽我五郎時致で、盗まれた家宝の刀友切丸を探していたのだ。助六の恋人で花魁の揚巻は、髭の意休という金持ちの爺に誘いを掛けられているが歯牙にもかけない。しかし意休はどれほど袖にされても諦めようとせず、廓の女たちからは野暮と陰口を叩かれている。
 助六は意休の持っている刀に目をつけ、喧嘩を売ってどうにか抜かせようとするがなかなか思い通りにいかない。それもそのはず、意休は助六の父の仇であり、助六が時致であることを見抜かれていたのだ。しかし揚巻をだしに散々意休を怒らせた助六は、とうとう意休に刀を抜かせる事に成功する。果たして刀はまさに捜し求めていた友切丸だった。友切丸奪還に向かう助六は意休を斬って刀を取り返し、仇討ちにも成功するがそこで追っ手に囲まれてしまう。
 間一髪のところに、花魁姿のままの揚巻が現れる。打掛の裾に助六を隠し、たったひとりで周りを囲む者どもを抑えるのだ。男衆たちは揚巻の裾に助六が隠れている事を知っているのだが、揚巻はがんとして助六を渡さない。 死も辞さぬ揚巻の剣幕と心意気に押されて一同は手出しができず、助六は揚巻に見送られて友切丸を手に去っていく。
 助六興行の際は、助六と揚巻役の役者が比翼紋のついた羽織袴で吉原や蔵前、魚河岸などへと挨拶にまわるのが吉例となっている。また吉原からは助六に蛇の目傘、煙管、揚巻には長柄の傘、箱提灯が茶屋一軒につき毎日一張りずつ、魚河岸からは助六の身につける鉢巻用の縮緬、下駄が、蔵前からは劇場前の積み物などが贈られるのが恒例になっていた。助六が打たれる間は、江戸中はお祭り騒ぎ となった。助六は、江戸っ子にとっても芝居町にとっても重要な演目であったのだ。
 この時、当代団十郎が助六を、そして剣心が初役で揚巻を勤めることが決まった。剣心の揚巻は上演前から大変な評判となった。
 まず話題に上ったのは五つの節句をかたどった五種類の衣装だ。これ以上ないほど贅を尽くした、江戸きっての傾き者助六の恋人に相応しい奇抜なものが披露された。
 人日の節句は正月らしい黒地に門松、羽子板模様の打掛に型から金糸を撚った七五三飾りをかけ、背中に橙とゆずり葉、金銀の御幣を垂らして橙の上には縮緬作りの伊勢海老が乗っている。上巳の節句は、三月三日。黒地の打掛の下には緋色地にお幕、火炎太鼓に金糸銀糸の桜が舞い散る。端午の節句は滝に見立てた水色の繻子地に金銀の糸を滝水のように垂らし、黒鯉の滝登りを大きくあしらった俎板帯。七夕の節句には、短冊模様。九月九日重陽の節句は、高名な絵師が手ずから描いた大胆な菊の打掛。
 衣装と櫛笄とを合わせれば、一着数十キロにもなる。揚巻役の剣心は、その重さに耐えながら舞台狭しと絶世の花魁、揚巻を可憐に演じなければならない。
 舞台は、初日から大当たりとなった。なにより剣心の揚巻は、当代一と噂された。
 揚巻は、ただ美しいばかりの女ではない。愛する男の為なら命も張り、嫌な客には遊女の身でありながらぴしりとやりこめるプライドを持った女性だ。それは、ただ男のために泣くしかないお姫さまとは違う、自立した女性の強さでもあった。助六は大変な色男の上に喧嘩も強く、お洒落で粋で女にもてる。まさに江戸のヒーローだが、揚巻につまらない嫉妬を叱られ素直に謝ったりするような可愛いところもあった。そんな助六を命がけで愛する花魁揚巻の凛とした姿は、まさに剣心の当たり役であったのだ。
 左之助は、その舞台で花魁道中の際揚巻に肩を貸す男衆の役に割り振られた。花魁は三枚歯といって六寸(約十八センチ)もある非常に高い下駄を履く。衣装の重さと相まって、花魁は歩くことさえままならない。その際花魁に肩を貸し、掴まらせる男衆が必要となる。左之助は背が高く、姿もいいからと推されたのだった。
 稽古のとき、よろしくお願いいたします、と頭を下げた左之助に、剣心は小さく頷いたのみで一言も返さなかった。側に寄ってみると舞台で見るより小さくて華奢で、左之助はなぜか胸が締め付けられるのを感じた。
 もう三十近くなるという話なのに、十九の左之助よりも若く、以前娘道成寺を演じた時と全く変わらないように見えた。人魚を食らった、という頑是無い噂が頭をよぎった。
 この時、初めて左之助は剣心に触れた。着物と肩に置いた手拭いを通して、冷たく小さい剣心の掌と細い指の感触が左之助の全身を震わせた。顔も合わせず、交わす台詞ひとつない。ただ自分の肩に預けられる彼の体重が、確かに彼がそこにいて同じ舞台にあがっていることを教えてくれた。


























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